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Windows Live® の検索結果 古代ローマで、イタリア以外の領土のこと。ラテン語ではプロウィンキアというが、これは命令権をもつ政務官の任務の領域を意味する言葉であった。 前3世紀の第1次ポエニ戦争(→ ポエニ戦争)で、ローマはシチリア島、コルシカ島、サルデーニャ島といったイタリア外に海外領土を獲得すると、これをローマの直接統治のもとにおき、毎年1名の総督を、高級政務官を歴任した元老院議員(→ 元老院)から派遣した。その後、属州の数は共和政期を通じて増加し、ポンペイウス、カエサルらが活躍した前1世紀には13となった。 属州統治の方法は最初から固定していたわけではなく、またローマから派遣される役人は少人数だったので、属州の地方自治はおおむね、おのおのの自治体にまかせられた。しかし、総督はその在任期間中、絶対的な支配権を行使し、しばしば属州を搾取した。前2世紀半ば以後はローマ市民は直接税を免除され、またイタリアの穀物自給率が低下するにつれてシチリア島やアフリカ、さらに帝政期にはエジプトなどの穀倉地帯からの穀物輸入の依存度が高まり、属州民の負担はますます過酷なものになった。これらの税の徴収をうけおった騎士(エクイテス)身分の徴税請負人も私腹をこやした。前149年には、総督の不正な搾取をとりしまる不当取得返還訴訟の制度がもうけられたが、効果は小さかった。 帝政期にはいると、属州は皇帝領と元老院領にわけられたが、皇帝はすべての総督に対する上級命令権をもち、また皇帝領にはエジプトやガリアなど豊かな属州がふくまれていたため、皇帝の支配権が強まった。 一方、属州民は属州議会を通じて、総督に対する不満を直接皇帝にうったえることができるようになった。1世紀半ばにはブリタニアが新たに属州とされ、2世紀には皇帝トラヤヌスにより、ダキア(現ルーマニア)やメソポタミアが征服されたが、次の皇帝ハドリアヌスはメソポタミアを放棄し、以後帝国の拡大はとまった。 一方、帝国各地にローマ風の都市が建設され、とくに帝国西部にラテン語が普及するなど、帝国全土の「ローマ化」がすすむにつれて、属州の自立傾向も高まり、それとともにローマをふくむ中央のイタリアの支配的地位も低下した。3世紀末に即位したディオクレティアヌスの改革により、帝国全土があらためて12の管区、101の属州に再編成され、従来のイタリアと属州の区別はなくなった。
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