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古代ギリシャの哲学者アリストテレスの用語。形相eidos(エイドス)とは、もとの言葉の意味では目でみることのできる形のことであり、質料hyle(ヒュレ)の原義は材料のことである。
一般に、物が「何からできているか」にこたえるのが質料、その物が「なんであるか」にこたえるのが形相と考えてよい。たとえば木の椅子(いす)については、その質料は木材で、形相が「椅子」である。石の椅子の場合は、質料は石だが、形相は同じく「椅子」である。材料はことなるが形が同じだからである。また、質料が同じでも形相がことなる場合もある。たとえば同じく石でできていても、椅子と石像と墓では形相がことなる。 このように形相と質料の結びつきは多種多様で偶然的であるが、アリストテレスによると、存在するすべての物にはかならず形相と質料がそなわっていなければならない。この考えには、プラトンのイデア説に対する批判がふくまれている。
プラトンは、われわれが感覚する個々の事物には永遠不滅の原型(イデア)が存在すると考えた。たとえば50個の馬のクッキーの形がみな同じなのは同じ1つの型でぬいてつくられているからであるが、ちょうどそれと同じように、すべての自然の馬も「馬」という1つのイデアにあわせてつくられている。したがって、個物の種類があるだけイデアの種類もあり、それらのイデアが感覚世界のかなたにあつまってイデア界を形成しているとプラトンは考えた。 こうしてプラトンは、われわれがみたり聞いたりする自然の世界のかなたに、超自然的なイデアの世界、形而上学的な世界を想定した。
けれどもアリストテレスによれば、このイデア説は、本来切りはなすことができない形相と質料を切りはなして考えた結果でてきたものである。つまり形相が質料とむすびつかなくても存在できるとするところに、プラトンの間違いがある。 アリストテレスによれば、椅子の形相とはあくまでも個々の椅子の中にあって、その椅子を椅子たらしめているものである。つまり個物としてのこの椅子は、椅子であるという本性を(イデア界にではなく)自分自身の中にもっているのである。 こうしてアリストテレスは、プラトンのイデア説の趣旨を生かしながら、同時に、現実の世界の外にあるイデア界のようなものを否定しようとした。 けれどもここにやっかいな問題がでてくる。たとえばこの椅子ができあがるまでの間、「椅子」という形相はどこにあったのか。さしあたりは大工の頭の中にあったのだが、彼がはじめてそんなアイデアを考えついたわけではない。すると大工が考える前は「椅子」はどこにあったのか。純粋な姿でイデア界にあったといったのでは、またプラトンに逆戻りする。
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