検索
エンカルタ内で検索 : 形相と質料

Windows Live® の検索結果

  • 形相 - Wikipedia

    形相 (けいそう ギリシャ語 エイドス)とは、哲学用語で 質料 に対置して使われる用語。日本語としては、「ぎょうそう」とも読めるが、哲学用語として使う時には「けいそう」と読む。 [編集] アリストテレス哲学における「形相」

  • 形相と質料 - MSN エンカルタ 百科事典 ダイジェスト

    ☆アリストテレスは、世界は形相と質料の両者からなる、と考えましたが、それは現実の中に理想や真実を見出そうとする姿のように見えます。 ☆その意味では、彼は、どこまでも現実に誠実であろうとしたに違いありません。

  • 形相と質料 - 印刷ビュー - MSN エンカルタ 百科事典 ダイジェスト

    けれどもアリストテレスによれば、このイデア説は、本来切りはなすことができない形相と質料を切りはなして考えた結果でてきたものである。つまり形相が質料とむすびつかなくても存在できるとするところに、プラトンの間違いがある。

すべての検索結果 :
Windows Live® の検索結果
ページ 2 / 2

形相と質料

形相と質料 けいそうとしつりょう Eidos and Hyle
百科事典項目
項目構成
V

可能態と現実態

そこでアリストテレスは、形相が質料の中にあらかじめ可能性というかたちで存在していたと考えた。つまりアリストテレスは運動変化を説明するために、形相と質料という対概念にくわえて、可能態(デュナミス)と現実態(エネルゲイア)または完成態(エンテレケイア)という対概念を導入した。

こうした発想方法のモデルは、生命体の成長だった。たとえばカシ(樫)の種子は、まだカシの木ではないがやがてカシの木になるのだから、カシの木の可能態だとみなすことができる。つまり生命体は自分がこれからなるであろう形相の可能性を自分(質料)の中にすでに宿していると考えられる。芽がでてそだってカシの大木になったとき、この種子は現実にカシの木になった、つまりカシの木の現実態になったといえるのである。

これと同じ発想でアリストテレスは、いわゆる物理的運動や人為的制作をも説明しようとした。椅子をつくる場合でも、材木という質料はやがて外からなんらかの力をうけとって、現実の椅子を実現する可能性をすでにもっていると彼は考える。椅子という形相は、もともと(完成態にいたる以前は)質料としての材木の中に可能性としてあった。材木は自分自身のうちに素質としてあるこの形相を目的にして(むろん大工の手をかりて)成長変化するのだとアリストテレスは考えた。

この場合、材木は椅子の可能態である(もちろん材木は船や机にも変身できるので、船や机の可能態でもある)。そして大工によってつくられた現実の椅子が、この材木の現実態だということになる。このように考えれば、個物の世界のほかに純粋な形相からなるイデア界を想定しなくてもよくなるのである。

VI

目的論的世界観

こうしてアリストテレスの形相と質料という対概念は、イデア説の不自然さを克服することに成功したのだが、そのかわりに、あらゆるものを目的論的に考える世界観を準備することになった。アリストテレスの目的論的な世界観は中世を通じて支配的であったが、やがて近代科学の機械論的な世界観と対立することになる。

西洋哲学

前のページ
|
次のページ
項目内で検索
項目全体を印刷
項目の URL をメールで送る




© 2009 Microsoft