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Windows Live® の検索結果 中国の北京近郊にある周口店遺跡第1地点から発見されたホモ・エレクトゥス(原人)のこと。年代は、中期更新世(78万~13万年前)の前半と考えられている。20世紀初頭ころまでに発見された重要な人類化石の多くは、正当な評価をうけるのに多年を要したが、北京原人化石はスムーズに学会にうけいれられた。研究の歴史は、1926年に地質学者のJ.G.アンダーソンらが、周口店の竜骨山で人類の大臼歯(→ 歯)化石を発見したと報告したことではじまる。翌27年に新たに発見された歯化石を人類学者D.ブラックが研究し、シナントロプス・ペキネンシスと命名した。同地に新生代研究所が設置され、29年には所員の裴文中(はいぶんちゅう)が最初の頭骨化石を発見した。 発掘調査はその後もつづけられ、子供から大人までの男女14個の頭蓋(とうがい)、14個体の下顎骨(かがくこつ)、多数の歯、少数の四肢骨が発見された。しかし太平洋戦争勃発(ぼっぱつ)時に化石は紛失し、以後その行方はわかっていない。さいわいブラックの急死後に化石の研究をひきついだワイデンライヒにより、当時の技術としてはおどろくほど質の高い石膏模型と多数の図・写真をふくむ詳細な研究報告書が刊行されており、これらが研究に利用されている。さらに戦後の再発掘により、少数の頭蓋片と歯および下顎骨1点が新たに発見された。 ブラックの提唱した「シナントロプス・ペキネンシス」は北京原人の学名として広く知れわたったが、1940年代から徐々に種の定義についての見直しがなされるようになり、60年代ころから、北京原人をジャワ原人(ピテカントロプス・エレクトゥス)とともにホモ・エレクトゥスにふくめるとの見方が定着した。 北京原人の頭蓋容量は900~1200ミリリットル、現生人類の3分の2から4分の3である。頭骨は前後に長くて高さが低く、発達した眼窩上(がんかじょう)隆起の後で額(ひたい)が後方へ傾斜し、後頭骨が強度の屈曲をしめすなど、ホモ・エレクトゥスとしての特徴をしめすが、後頭骨の横幅が狭いなど、ジャワ原人などとはことなった独特の特徴もみとめられる。周口店遺跡からは石英や緑岩製のチョッパー(礫石器:れきせっき)などの石器類が出土している。また厚い灰の層が確認されたことから、北京原人は火を使用したとの説が有名になった。ただし最近では、この灰層は人為的なものではないとする考えもあり、その評価はさだまっていない。 ジャワ島内の多数の遺跡から発見されているジャワ原人とことなり、北京原人は、基本的には周口店遺跡第1地点出土の化石群のみをさす。アジアにおいて同類の人類の分布範囲がどれだけのものであったのか、今のところ明らかでない。北京原人とその後のアジアの旧人との系統関係についても、確かなことはわかっていない。→ 人類の進化
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