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  • ゲルマン民族の大移動 - Wikipedia

    ゲルマン民族の大移動 (げるまんみんぞくのだいいどう)とは、 4世紀 から 5世紀 にかけて ヨーロッパ と 北アフリカ で起きた ゲルマン人 [1] の大移動のこと。この大移動をもって、ヨーロッパの 古代 と 中世 の画期とされる。

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    II-1 民族大移動 4世紀の後半になると、ゲルマン諸民族がアルプスを越えて次々と移住し始めた。その波を受けて、イタリア半島に拠点をもっていたローマ帝国は、政治、経済、社会、文化のあらゆる面にわたって混乱をきたし、ついに帝国とともに栄えた ...

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民族大移動

民族大移動 みんぞくだいいどう Great Invasion
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

ヨーロッパ史において民族大移動という場合には、4世紀後半~7世紀初めに、それまでヨーロッパの北部ないし東部に居住していたゲルマン系諸部族(ゲルマン人)がローマ帝国領内に移住し、それぞれの部族国家を樹立した一連の出来事をさしている。その背景としては、5世紀初めごろから寒冷期にはいり、北方の気候条件がきびしくなったこと、ゲルマン人の人口が増加して土地不足が深刻化したこと、ローマ帝国の衰退により国境地域の軍事的な防衛力が低下していたことなどが一般に指摘されている。

ゲルマン民族大移動は、3つの時期に区分することができる。第1期は4世紀後半~5世紀前半、第2期は5世紀後半~6世紀初め、第3期は6世紀後半~7世紀初めである。

II

第1期

民族大移動の第1期の発端は、376年、西ゴート族(ゴート族)の多くが東ローマ皇帝ウァレンスの許可をえて国境だったドナウ川をわたり、ローマ帝国内に移住したという事件である。東西ゴート族は、2~3世紀にスカンディナビアから黒海北岸地域に移住していたが、中央アジアの遊牧民族であるフン族の西方進出に圧迫されて、ドナウ川流域にまで移動したのである。

その後、東ゴート族が現在のハンガリーに定住してフン族の支配に服したのに対して、西ゴート族は、378年、アドリアノープル(現トルコのエディルネ)の戦で東ローマ帝国軍をやぶったのち、国王アラリック1世にひきいられてバルカン半島とイタリア半島を席巻(せっけん)し、410年にはローマを略奪した。その後、418年、南仏アキテーヌに建国した。

同じ5世紀初頭の406年に、もう1つの民族大移動の発端となる大事件がおきた。この年の大晦日(おおみそか)、バンダル族ブルグント族、スエビ族を中心とし、イラン系アラン族もふくめたグループがマインツ付近でライン川をわたり、ローマ帝国のリメス(国境防衛のための長城)を突破して、帝国領内各地を攻略していった。

その後、バンダル族はイベリア半島をへて北アフリカにわたり、439年、カルタゴを首都として建国し、スエビ族は、411年、バンダル族がいなくなった後のイベリア半島北西部に小王国をたてた。ブルグント族は、443年にジュネーブを首都として、現在のスイス西部からフランス北東部にかけての地域に王国をたてた。

このような第1期に移動を開始した諸部族は、スエビ族をのぞけば、移動開始時にゲルマニア東部に居住していたので、東ゲルマン系部族と総称される。彼らの民族移動は、ローマ帝国領内にいくつかのゲルマン人国家を生みだしながらも、ローマ帝国を滅亡させるにはいたらなかった。けれども476年、ゲルマン人傭兵隊長オドアケルが最後の西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥルスを廃位して以後、旧西ローマ帝国領の各地で、地域の有力者の自立化の動きがおこった。イタリア半島では、テオドリックにひきいられた東ゴート族が、493年にオドアケルの王国をやぶって建国した。

III

第2期

このチャンスを利用して、第2期の民族移動の中心となったのは、これまで比較的弱体であり、それゆえローマ帝国の権威に服従していたゲルマニア西部の西ゲルマン系部族であった。

その代表であるフランク族は、451年、ローマ人と西ゴート族と連合して、アッティラのひきいるフン族をカタラウヌムで撃退(カタラウヌムの戦)し、486年には国王クロービスの指揮のもとで、ローマ人勢力の首長だったシアグリウスをやぶり、さらに507年には、ロワール川以南の地を支配していた西ゴート勢力をブイエの戦でうちやぶって、ガリアにおける覇権を確立した。これがメロビング朝フランク王国であり、534年にはブルグント王国をほろぼし、バイエルン、チューリンゲンなど他の西ゲルマン系部族を支配下におさめていった。

この間、西ゴート族はイベリア半島に南下、建国している。また5世紀半ばから北ドイツ、ユトランド半島から海峡をわたってイギリスに進出したサクソン族、アングル族、ジュート族は、当初20余りの小王国をたてたが、6世紀末までに七王国に統合された。

IV

第3期

6世紀後半には、第3の移動がはじまる。バンダル王国をほろぼし、東ゴートも征服してイタリア半島を回復した東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世が565年に死去したあと、イタリア半島に侵入したのは、2世紀以来、エルベ川下流域からドナウ川中流域に南下していたランゴバルド族であり、彼らは568年に建国した。また彼らがさったあとのドナウ川流域には、アジア系のアバール族とブルガール族がはいった。

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