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項目構成
朝鮮半島には4世紀末に仏教が伝来した。6世紀に国教となったのちには多くの寺院が建設された。初期のものに高句麗の平壌清岩里廃寺(せいがんりはいじ)があり、中央に八角形の仏塔、北、東、西の三面に金堂(こんどう)を配置する。また百済では扶余の定林寺などが知られ、南から北に仏塔、仏殿、講堂をならべ、回廊でとりかこむ。統一新羅(→ 新羅)では慶州の皇竜寺などの大規模な伽藍がもうけられた。また慶州北方の感恩寺では回廊内部の南側に2つの仏塔をもつ形式が誕生している。仏殿は木造であったが、仏塔は石造のものも少なくない。
日本には6世紀前半に仏教がつたえられたが、本格的な寺院建築は6世紀末から7世紀初頭にかけて建設された飛鳥寺が最初である。造営にあたっては、百済から僧、寺工、瓦博士、露盤博士(塔頂部の相輪やその台をつくる工人)、画工などが派遣されており、朝鮮半島からの強い影響関係がうかがわれる。伽藍は塔を中心に北、東、西に3棟の金堂がその周囲に配置され、全体を回廊がとりかこんでいた。講堂は回廊の外の北側にあった。その後、四天王寺、法隆寺などがひきつづいて創建されたが、飛鳥寺や四天王寺の伽藍をみるかぎり、初期の形式は朝鮮半島からもたらされたと考えられる。「日本書紀」によれば624年には46の寺院があったというから、急速に仏教寺院が普及していったことがわかる。 7世紀半ばから遣唐使がしばしば中国に派遣されるようになり、中国からの建築様式や技術が直接つたわるようになった。明日香村の川原寺はその初例と考えられている。7世紀末に完成した藤原京には薬師寺、大官大寺といった大規模な寺院が建設された。薬師寺には各層に裳階(もこし)を付した個性豊かなデザインの金堂、三重塔があり、双塔形式をもつ初例である。大官大寺は巨大な寺院で九重の高い塔がたてられた。
710年に都が平城京にうつると、各寺院も新都にうつった。薬師寺、興福寺、元興寺(もとの飛鳥寺)、大安寺(もとの大官大寺)が建設され、8世紀後半には東大寺、西大寺といった巨大寺院をはじめ、唐招提寺、法華寺(ほっけじ)など多くの中小の寺院がもうけられた。寺院内部の建築には、中心部に本尊をおさめる金堂、仏舎利をおさめる塔、それらをかこむ中門と回廊、経典をおさめる経蔵、時刻を知らせる梵鐘(ぼんしょう)をつる鐘楼(しょうろう)、僧侶の勉学の場である講堂、会食のための食堂(じきどう)、居住の場である僧房などがあり、その外側に大衆(だいしゅ)院、修理(しゅり)院、温室院、倉垣(そうがい)院、花園(かおん)院、賤(せん)院などが配置されていた。 平安時代にはいると、仏教抑制政策のために、平安京には東寺と西寺の2寺しか建設されなかったが、京外には順次大小さまざまな寺院が建設された。初期には比叡山に天台宗の巨大寺院延暦寺が、京の外側に真言宗の仁和寺、貞観寺(じょうがんじ)、醍醐寺などがもうけられた。また畿内を中心に多くの小寺院も建設された。これらの寺院の多くは、本尊を安置する中心仏堂(金堂・本堂)の前方に礼堂を付設するようになった。礼堂付きの仏堂は平安時代を通じて発展し、やがてほぼ正方形の平面で、内部が本尊を安置する内陣、多くの俗人が礼拝をおこなう外陣(礼堂)の2つの部分からなる仏堂へと変化をとげた。
この平面形式は中世(→中世の「日本の中世」)になると全国各地に普及し、天台宗、真言宗の宗派の別にかかわらず、中世寺院の本堂の大部分はこの形式をもつようになった。中世初頭には中国から新しい寺院建築の技術が輸入された。ひとつは大仏様(天竺様ともいう)で、鎌倉初期の東大寺大仏殿再建にもちいられたもの、もうひとつは禅宗様(唐様ともいう)で、中国からもたらされた新しい仏教である禅宗、とくに臨済宗にともなってはいってきたものである。 大仏様は東大寺再建ののちは衰退したが、大建築を頑丈につくることができるため、のちの時代にもときどき登場する。禅宗は武士、貴族の帰依(きえ)をうけたので、京都や鎌倉に大規模な禅宗様の寺院をつくりあげた。したがってその建築様式が当時の主流の様式のひとつとなり、また全国各地に禅宗寺院が多くつくられるとともに国内に普及していった。禅宗様は、伝統様式である和様とともに日本の伝統様式となっていった。 禅宗寺院の伽藍は、中国禅宗の寺院にならったもので、京都、鎌倉の五山などの大規模な寺院は、仏殿(かつての金堂に相当)、法堂(はっとう:講堂に相当)、三門(中門)、回廊、庫院(くいん:厨房と寺務所)、僧堂(坐禅、食事、睡眠の場)、衆寮(しゅりょう)、方丈などの建築群で構成されていた。また、周囲には住職の墓をまもる子院塔頭(たっちゅう)がつくられ、徐々にその数が増加していった。 鎌倉時代に開宗された浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、時宗などの新仏教各派は当初は有力な檀越(だんおつ:布施をする信者など)をもたず、立派な寺院建築をつくることができなかったが、室町時代後半から京都や地方の都市にそれぞれの宗派ごとに個性的な建築をつくりだした。内部に外陣、内陣という2部分をつくる本堂をもつことが多く、これは真言宗や天台宗の寺院建築の影響とみられるが、全体に住宅的な要素を多くもつ。 江戸時代にはいると新仏教は檀家制度(寺檀制度)にくみこまれ、大量の寺院が新たに建設された。とくに最大の信者をかかえた浄土真宗は、各地の本山や別院に巨大な本堂、御影堂(みえいどう:宗派の開祖の像を安置する建物)をつくった。近代にはいっても伝統的な建築様式はまもられ、新築、再建などの際には木造で伝統的様式をもちいた寺院建築がつくられることが多い。また一部では、鉄筋コンクリート造のものも登場するようになった。
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