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インドを中心とする南アジア地域で成立、発展した哲学、宗教思想の総称。インドでは人間や世界の意味に関する思索を、サンスクリットの「みる」という動詞から派生した「ダルシャナ」という名詞でよぶが、これは純粋な論理的考究によっておこなう哲学的思索のみならず、ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教などの宗教思想をもふくむ概念である。 前1500年ごろ西方よりインド亜大陸に移住してきたアーリヤ人たちは、先住民の信仰要素を融合しつつ、哲学や宗教を形成、発展させた。哲学者や宗教者は一般的に、最高神や最高原理を探求する傾向を強くもち、また人生を苦と観じ、輪廻の世界からはなれるために、世界に関する真の知識の獲得、あるいは苦行やヨーガの実践に専心した。それゆえ、インド哲学は当初より主知主義的思惟と宗教救済論が緊密にむすびついている。 インド哲学諸体系の大半は、現実世界の生を苦と観じることを出発点とし、解脱を終局とするもので、その展開は独創的な哲学者たちの営為によるよりも、長期間にわたって多数の思想家や宗教家が形成した学派や宗派の継続的発展におうところが多い。 インドでは、思想や宗教は長い間口承でつたえられ、また写本になっても年代の記述のないものがふつうなので、哲学者や宗教家の正確な年代は不明だが、いちおう、古代(前1200~後600年)、中世(600~1800年)、近現代(1800年~)にわけて歴史的展開を概説する。
北インドに移住したアーリヤ人によって前1200年を中心に「リグ・ベーダ」が編纂(へんさん)され、その後、前500年ごろまでに「サーマ・ベーダ」「ヤジュル・ベーダ」「アタルバ・ベーダ」がまとめられた。「リグ・ベーダ」の宗教は主として自然現象を擬人化した多神の崇拝と祭祀(さいし)であるが、世界創造の原因を探求する哲学的賛歌もふくまれている。 4つのベーダ聖典の主要部分はサンヒター(本集)とよばれるが、それぞれに、ブラーフマナ(祭儀書)、アーラニヤカ(森林書)、ウパニシャッド(奥義書)がつけくわえられ、聖典解釈とともに世界の最高原理の追求が進展した。 ウパニシャッドは、世界の最高原理としてのブラフマン(梵)と、個人の本体であるアートマン(我)が本質的に同一(梵我一如)であるとした。また、その後のインド哲学の中心的思想となる業と輪廻の思想もウパニシャッドにみられる。 ベーダ聖典に説かれる宗教思想はブラフマニズムとよばれるが、この言葉は近代になって西洋の研究者が名づけたもので、日本ではバラモン教と訳された。
前5世紀ごろには、ガンガー(ガンジス川)中流域を中心に都市が発達し、王侯や商工業者の隆盛にともなって、ベーダ聖典の権威をみとめない数多くの自由思想家があらわれた。彼らの中には唯物論、懐疑論、快楽論、運命論などを説く者がおり、こうした自由な思想背景のもとに、釈迦とマハービーラがそれぞれ仏教とジャイナ教を創始した。
釈迦は、あらゆる存在は相互に依存しあって生起し(縁起)、一瞬もとどまることなく変化し(無常)、特定の実体をもつものはない(無我)と考えた。それゆえ、世界は永遠か否か、有限か否かといったウパニシャッドの哲人たちがこのんだ形而上学的問題は、真理をさとる妨げになるとしてしりぞけられた。また真理をさとる方法として、苦行主義や快楽主義などの両極端をはなれて中道をまもり、苦の原因である愛執を消滅させる方法をまとめた四諦(4つの真理)を観察し、ただしい見解や思索などの八正道を実践することを説いた。 前3世紀にはアショーカ王の庇護(ひご)のもと、仏教はインド全域に広まり、アジア全体に伝播(でんぱ)した。またこのころ教団は2派にわかれ、その後さらに多くの部派に分裂した。前1世紀ごろから部派仏教の教えにあきたらない在家信者の間から革新的な運動がおこり、のちに日本にもつたわる多くの大乗仏教の経典が編纂された。
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