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Windows Live® の検索結果 1767~1825 江戸後期の力士。信濃国小県郡(ちいさがたぐん)大石村(現、長野県東御市)生まれで、本名は関太郎吉。江戸にでて浦風部屋に入門、谷風の内弟子となって修業したという。 やがて松江藩主の松平不昧(ふまい。松平治郷)のお抱え力士となり、1790年(寛政2)に関脇(せきわけ)で江戸での初土俵をふむ。このとき、谷風のライバルで横綱免許の大関、小野川との勝負は物言い預かりとなったが、実際は勝ちで評判となった。 当時、横綱という番付位はなく、上覧相撲でしめ縄を腰につけて土俵入りすることができる横綱免許があたえられるだけだった。1795年、谷風の死去により、番付最高位の大関に昇進。1811年(文化8)に45歳で引退するまで、無敵の強さをほこった。 身長約197cm、体重約169kg、持ち前の剛力で攻めを身上とする相撲であったらしい。けがをする相手力士もいたようで、幕末に彼の孫が同郷の佐久間象山に書いてもらった碑文は、勢いのすさまじい三手が禁じ手にされたとある。この三手は張り手、鉄砲(突っ張り)、かんぬきで、雷電伝説となった。講談では、これらの手でうらみのある相手を殺傷したともかたられ、雷電が横綱免許をうけぬまま現役をおえた理由にされている。
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