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広義にはインド・ヨーロッパ語族をさすが、狭義にはその一派でインドやイランに移住した人々のこと。かつては中央アジアで遊牧をいとなんでいたが、前2千年紀初めに南に移動しはじめ、その一部は前1500年ごろ西北インドのパンジャブ地方に進出した。また別の一派は少しおくれてイランに定着したと考えられている。 両者の文化はたいへん類似しており、それはインドで編纂された彼らの聖典「リグ・ベーダ」(→ ベーダ)と古代イランのゾロアスター教の聖典「アベスター」の言語の類似に端的にあらわれている。自然神崇拝や二輪戦車を駆使する軍事行動などにも共通するものがある。
しかしそれぞれの地に定着後の彼らの生活は、先住民との人種的・文化的混交によってしだいに独自の展開をするようになり、インドではバルナ(→ カースト)とよばれる身分によって区別される階層制を発達させた。バルナ身分は後代にはカースト制度として知られる宗教的・社会的差別の身分制となってより複雑化していった。 アーリヤ人によってドラビダ人などインドの先住民の多くは被支配者層に位置づけられたが、アーリヤ人相互にも主導権をめぐっての争いがあり、それにやぶれた者たちの中には低い身分を甘受(かんじゅ)せねばならなかった例もある。また一方で、先住民のうちにもアーリヤ人優勢の社会にうまく適合して上層身分を獲得した者もある。
今日ドラビダ系の人々が住民の大部分を占める南インドで、バルナ身分の最上位におかれる、より厳格で伝統的なバラモン意識がみられるのは、後代の北インドではイスラム教の影響が大きかったことを考慮にいれたとしても、古代のインド亜大陸の全域でアーリヤ人の文化と先住民の文化が相互に強く影響しあって融合していったことを如実にしめしているといえよう。
なお、「アーリヤ」というのは「高貴な」という意味の誇称であり言語上の分類であって、人種的にアーリヤ人というものが存在したわけではない。にもかかわらず、19世紀のヨーロッパで、当時明らかにされていた言語学上の分類をそのまま人種の別として実体化し、差別の根拠とするという非科学的な思想が生まれたことが知られている。 なかでもヒトラーのユダヤ人虐殺の暴挙が、アーリヤ人(ゲルマン人)の優秀性を維持するため、劣等なセム人、とくにその代表としてのユダヤ人を排斥するというイデオロギーにもとづいていたことはあまりにも有名である。
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