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園城寺

園城寺 おんじょうじ
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

滋賀県大津市にある天台寺門宗の総本山。山号は長等山(ながらさん)。俗に三井寺といい、寺の東方にある井泉の水が、天智、天武、持統3天皇の産湯につかわれたという伝承からきている。また、延暦寺の山門に対し、当寺を寺門とよぶ(天台宗)。

寺伝では、686年(朱鳥元)大友皇子の発願にもとづき、子の与多麿が開創したというが、この話は山門に対抗するためにつくられたともいわれ、出土したから飛鳥時代後半(白鳳時代)に大友村主(すぐり)氏の氏寺として創建されたと推測される。

唐から帰国した円珍が859年(貞観元)再興し、唐院をたてて唐からもちかえった経論をおさめた。866年には天台別院となって円珍が別当につき、875年、堂舎や鎮守の新羅(しんら)明神社がつくられて体裁をととのえた。

II

抗争と分裂

寺の別当職はのち長吏とよばれ、円珍門徒がついだ。やがて比叡山における円仁門徒との対立がはげしくなり、993年(正暦4)円仁門徒に坊舎を破壊された円珍門徒は、比叡山をおりて園城寺を拠点とした。以後、分裂した寺門と山門の抗争がつづき、しばしば山門の僧兵によって焼き打ちにあった。

兵火にもあったが、歴代の長吏が天皇家や摂関家などの帰依(きえ)をうけていたため、そのたびに復興をはたした。院政期以後は皇族の入寺もあいつぎ、聖護院、実相院、円満院などの門跡(もんぜき)も成立している。源頼朝足利尊氏も崇敬したが、豊臣秀吉との関係はわるく、1595年(文禄4)破却、寺領没収の目にあった。しかし、間もなく返還されて再建がはじまり、徳川氏や毛利氏らの援助で復旧した。

III

建築と美術

寺域は南、中、北の3院と9谷にわけられる。主要な建造物は中院にある。金堂(国宝)が1599年(慶長4)の再建なのをはじめ、いずれも近世初頭の再建や移築である。もっとも古い建造物は北院にある鎮守社新羅善神堂(国宝)で、1340年(暦応3、興国元)の再建。南院には如意輪観音を安置する観音堂があり、西国三十三カ所観音霊場の第14番札所となっている。

絵画では、国宝の不動明王画像(黄不動)は、高野山の赤不動、青蓮(しょうれん)院の青不動とならぶ三大不動とされる。三井寺の晩鐘で知られる大鐘は、神護寺平等院の梵鐘(ぼんしょう)とともに日本三名鐘とされる。

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