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Windows Live® の検索結果 京都市伏見区にある真言宗醍醐派の総本山。山号は深雪山。874年(貞観16)空海の孫弟子にあたる聖宝(しょうぼう)が笠取山山頂に草庵をたて、如意輪観音と准胝(じゅんてい)観音を安置したことにはじまる。907年(延喜7)聖宝に帰依(きえ)した醍醐天皇の勅願寺となり、919年に聖宝の法弟観賢が初代座主(ざす)となったころから参詣(さんけい)者もふえ、山頂および麓(ふもと)にも諸堂、諸院の建設があいついだ。笠取山山頂を上醍醐、麓を下醍醐とよぶ。 塔頭(たっちゅう)も多くたてられ、このうち、1115年(永久3)開創の三宝院、理性院(りしょういん)、金剛王院、無量寿院、報恩院が五門跡と称された。はじめ五門跡が交代で醍醐寺の座主をつとめたが、室町中期に座主となった三宝院の満済が足利氏の帰依をうけてからは三宝院から座主をだすのが通例となった。室町時代には当山派修験道の拠点となり、江戸時代には幕府から当山派の統括をまかされている。 上醍醐の伽藍では、薬師堂(1124)がもっとも古く、本尊薬師三尊像とともに国宝。西国三十三カ所観音霊場の第11番札所の准胝観音、2月の五大力尊仁王会(ごだいりきそんにんのうえ)に参詣者をあつめる五大堂、寺号の由来となった醍醐水(仏に供える水)などもある。 下醍醐では、952年(天暦6)落成の五重塔(国宝)が唯一創建当初のもので、京都府現存の最古の木造建造物でもある。五重塔内部にも国宝の壁画がのこる。金堂(国宝)は、1600年(慶長5)豊臣秀吉の復興により、紀伊国湯浅村(和歌山県湯浅町)にあった満願寺本堂を移建したもの。 下醍醐の仁王門北西にある三宝院の表書院も国宝で、ここの滝をもつ池庭は桃山時代の名園として知られ国の特別史跡、特別名勝。4月には秀吉の醍醐の花見にちなむ太閤(たいこう)花見行列がある。境内全域が史跡に指定されている。
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