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京都市北区にある臨済宗大徳寺派の大本山。山号は竜宝山。1315~19年(正和4~元応元)ころに、宗峰妙超が一族の赤松則村の援助をうけ、紫野に小堂をたてたことにはじまるという。花園天皇の帰依(きえ)をうけ、24年(正中元)寺地を拡大して堂舎の体裁もととのえた。翌25年には花園上皇と後醍醐天皇それぞれの祈願所となり、以後、そのあつい庇護のもとでさかえ、このころは京都五山の第1位におかれた。
大徳寺は、法系に関係なく時の高僧を住職に任命した他山とことなり、宗峰に深く帰依した花園天皇が住持を宗峰派にかぎるとさだめたため、厳格な宗峰の禅風がまもられることになった。しかし室町時代には、厳格な宗峰門派は足利将軍家が帰依した夢窓疎石門派におされ、大徳寺も五山十刹(じっさつ)の下位にすえられたため、1431年(永享3)同寺は十刹の位をぬけた。 官寺的性格を強めていた五山派から、在野派的な立場になったことで、漢詩文や学問を重んじて庶民からはなれたと五山派を批判し、大徳寺は活動基盤を庶民層にもとめた。この流れの中で、同寺の一休が堺の町衆に大徳寺の禅を広め、応仁の乱などで荒廃した寺観を彼らの援助で復興させた。 また、村田珠光の一休参禅がきっかけで、茶人が大徳寺にあつまるようなった。その影響で、江戸時代にかけて大名らが旦那(だんな)となり、多くの塔頭(たっちゅう)が創建された。
現在、24院のこる塔頭は、いずれも文化財を多くもつが、そのうち一休を開祖とする真珠庵は方丈の襖(ふすま)絵などが国宝、庭園は国史跡ならびに名勝である。また、茶人としても知られる小堀遠州の工夫が随所にうかがえる孤篷庵(こほうあん)は、のち松平不昧(ふまい。松平治郷)が忠実に再建したもので、本堂や書院、茶室が重要文化財、庭園は国史跡ならびに名勝。このほか大仙院書院庭園と大徳寺方丈庭園も史跡、特別名勝であるなど、禅宗美術や茶道美術にめぐまれている。
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