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奈良県宇陀市室生区にある寺。山号は宀一山(べんいつさん)で、これは室生の略である。江戸前期、その管轄をめぐって法相宗の興福寺と真言宗があらそい、幕府はいったん興福寺にまかせたが、のち新義真言宗豊山派(ぶざんは)の本寺として独立させた。第2次世界大戦後、真言宗室生寺派の大本山となった。→ 真言宗 こうした争いからもうかがえるように、室生寺はさまざまな信仰をもとに草創され、発展したと思われる。天武天皇の勅願により680年(天武9)役行者が開創し、のち空海が再興したという異説もあるが、もともとは室生の水源への素朴な水神信仰からはじまり、そこに雨を自在にあやつる中国の竜信仰がむすびつき、一山は霊場となったといわれる。 777年(宝亀8)この霊場に、山部皇太子(桓武天皇)の重病をいやすため、興福寺の学僧、賢憬が僧5人とともに入山して祈願し、のち桓武天皇の命で堂宇が創建されたという。創建事業は賢憬の弟子、修円らの手ですすめられたらしいが、やがて、台密や東密(→ 密教)の流入が盛んとなり、多彩な教学と信仰が展開した。 当時、真言密教の本山である高野山が女人禁制だったのに対し、江戸時代に新義真言宗豊山派となり、広く女性の参詣(さんけい)をみとめていた室生寺は女人高野とよばれた。こうしたことから、古くから祈雨や止雨の神といわれた竜穴神の竜穴神社とともに、多くの参詣者をあつめた。
室生寺にはすぐれた寺宝が数多くつたわっている。平安初期の建造と考えられる五重塔(国宝)は、檜皮葺き(ひわだぶき)の優美な屋根をもち、現存する五重塔としては最小のものである。屋根の上にある相輪(そうりん)の頂きに、通常の水煙(すいえん:火炎をかたどった透かし彫りの金具)ではなく、宝瓶と八角形の天蓋(てんがい)をのせているのは他に例がない。建築としてはほかに、金堂(平安初期)、灌頂堂(かんじょうどう:鎌倉時代)が国宝に指定されている。 仏像彫刻では、金堂内陣の薬師如来立像(伝釈迦如来)や十一面観音立像、弥勒堂の釈迦如来座像(いずれも国宝)など平安前期のすぐれた木彫が多く、鎌倉時代の十二神将像など重要文化財も数多い。また、金堂内陣の板壁にえがかれている伝帝釈天曼荼羅図(まんだらず)も平安前期の作と考えられ、国宝に指定されている。 なお、1998年(平成10)9月、台風7号の強風によってたおれた杉の木が五重塔にもたれかかり、塔の屋根が5層とも大きな損傷をうけたが、2000年9月に修復工事が完了し、もとの繊細優美な姿をとりもどしている。
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