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Windows Live® の検索結果 フロンティアとフロンティア・スピリットフロンティアとフロンティア・スピリット Frontier and Frontier Spirit
百科事典項目
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フロンティアは、英語では国境、境界を意味し、辺境とも訳される。しかし、アメリカ史では、開拓時代(→ 西部開拓史)の「開拓地と未開拓地の境界地方」をさし、白人定住地の周縁の開拓地、つまり開拓最前線とその周りの未開拓地もふくめてフロンティアとよぶ。また、そこへ開拓のためにはいった移民らの行動的で不屈の開拓精神、開拓者魂はフロンティア・スピリットとよばれ、しばしばアメリカ人のたくましい国民性、精神性をあらわす言葉として引用される。
1790年に開始されたアメリカ合衆国の国勢調査では、1平方マイル(約2.59km²)当たりの人口密度2~6人の地域がフロンティアとされ、これらの地域を南北にむすぶ線がフロンティア・ラインと定義された。 本格的なフロンティアの開拓は17世紀初めのジェームズタウンの建設にはじまるが、植民地時代にはアパラチア山脈をこえることはなかった。しかし、フロンティア・ラインはアメリカ合衆国が成立(1790)したのちは順調に西方へすすみ、19世紀半ばまでにミシシッピ川をこえた。また1848年の金発見でおこったカリフォルニアのゴールドラッシュ以降は、太平洋岸からも東へ開拓がすすみ、1890年の国勢調査報告書でフロンティア・ラインの消滅が宣言された。
フロンティア・ラインの消滅は、フロンティアそのものの消滅を意味したわけではなかった。しかし、1893年に歴史家F.J.ターナーは、これをアメリカ史の第1期の終了を意味するととらえ、「フロンティア学説」を提唱した。彼は、自由と平等、機会均等、個人主義、民主主義といったアメリカ的価値観をはぐくんだことに、フロンティアの意義をみとめたのである。つまり、フロンティアとその開拓経験がアメリカ人をヨーロッパと切りはなし、独自の国民性を生みだしたと主張したのである。フロンティアこそがアメリカ人を創造したととなえることで、国民のナショナリズムを強化したといえる。 またターナーは、東部を腐敗、老朽化した非民主的地域、開拓のできる「自由な土地」をもつ西部をその安全弁ともとらえた。この中で彼は、アメリカ史をセクション対立の歴史とする視点から、階級対立のない社会がなりたった原因をフロンティアにもとめる見方をうちだし、アメリカの歴史学に大きな影響をあたえた。
フロンティアから説明されるアメリカ人の国民性、行動様式のひとつが、フロンティア・スピリット(開拓者精神)である。進取の気性、独創性、男らしさ、勤勉と実直、旺盛な行動力を志向、あるいは礼賛し、地理的、社会的移動の活発なことが、その精神の代名詞となっている。 1960年の大統領選挙で若さ、行動力、理想主義を国民に強くうったえ、43歳で第35代大統領に当選したジョン・F.ケネディが、選挙中や翌年1月の就任演説で「ニュー・フロンティア」の精神を強調したことは有名である。 一方、粗野、反理知的、物質主義、力の信奉といったプラスとはいえないイメージが、フロンティア・スピリットから説明される場合もある。
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