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中華人民共和国の国防軍。中国革命の担い手としての伝統と使命をもつ。兵役法に「中華人民共和国の武装力は、人民解放軍の各軍種から成る」とさだめられ、憲法によって「人民革命および国家建設の成果を擁護し、国家の主権、領土の完整および安全を擁護する」という任務をあたえられている。1927年に建軍された紅軍にはじまり、八路軍、新四軍をへて、47年3月に当時の人民革命軍事委員会の命令によって、中国共産党の指導するいっさいの軍隊を人民解放軍と改称し、現在にいたっている。 その略史は以下のとおりである。
1927~37年。27年8月1日の南昌暴動以来、朱徳、毛沢東、周恩来、賀竜らは、江西ソビエト区の防衛のために国民党軍とたたかった。その8月1日は、現在の中国では「八一節」として建軍記念日となっている。この南昌暴動は失敗に帰したが、これを契機として工農革命軍が組織され、井岡山(せいこうざん)を革命根拠地としていた毛沢東らと合流して、工農紅軍へと発展した(軍長は朱徳、党代表は毛沢東)。共産党は28年に勢力をのばし、31年には瑞金に中華ソビエト共和国臨時政府を樹立した。 しかし、国民党軍の包囲にあって、1934年長征を開始した。この途上、35年1月に開かれた遵義会議で、毛沢東が党と軍両方の指導権を掌握し、長征終了とともに、陜西北部に新たな革命根拠地を設立した。これ以後、毛沢東軍事思想による思想武装がすすんだ。
1937~47年。日中戦争開始直前に成立した第2次国共合作によって、国民革命軍第八路軍(華北)と新四軍(華中)の名称をあたえられ、抗日戦争をたたかった。この間、勢力が拡大し、正規軍90万、民兵220万を擁するにいたった。終戦直前の45年8月10日、延安総部命令第1号によって、中国共産党指導下の各軍がいっせいに日本占領区に進入、その後国民党軍と内戦状態となった。
1947年以降。国共内戦中の47年、全軍が人民解放軍と改称され、さらに48年11月に統一整編がおこなわれ、第1~第4野戦軍を組織、国民党を台湾におい、49年10月に中華人民共和国が成立した。50年秋には朝鮮戦争に人民志願軍として参戦、51年12月にチベットのラサに進駐、台湾をのぞく本土の解放に成功した。その後、上記のように憲法、兵役法を制定、義務兵役制や階級制を実施した。 八路軍総司令であった朱徳は、1945年6月に人民解放軍について、民族的、人民的、民主的という特徴をあげている。また中国側の公式見解では、人民の軍隊、高遠な思想をもつ軍隊、民主主義を基礎とする厳格な規律をもつ軍隊だとしている。思想性や政治性が強く、精神的要素が高く評価されることはたしかであろう。また政治性が強いがゆえに、政治に関与することもしばしばであった。 文化大革命の際には、林彪国防相が毛沢東を全面的に支援し、軍事管制を厳格に実施して「兵営国家」建設につとめた。1971年の林彪死亡(林彪事件)後は、党の軍に対する指導力が強化された。また、79年の中越戦争の軍事的敗北から、80年代以降「四つの現代化」政策のもと、国防の近代化がはかられた。改革の推進者は、鄧小平党中央軍事委員会主席であった。中ソ対立が緩和してからは遊撃型の軍からの脱却をめざし、核ミサイルや原子力潜水艦の開発とともに100万にのぼる陸軍兵の削減がいそがれた。その後、南沙群島問題(→ スプラトリー諸島)や尖閣列島問題(→ 尖閣諸島)などの領土問題もあって、海軍力の強化をはかっている。
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