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プロローグ; 主要国の金融制度改革(ビッグバン); 日本版ビッグバン; 預金保険制度; 公的資金の投入; すすむ大手金融機関の合併、統合、提携; 金融再生プログラムと公的資金投入の新たな枠組み; 金融改革プログラム
金融恐慌や銀行倒産などの防止および金融の健全化と効率化をおもな目的におこなわれる改革で、近年は金融環境の変化に対応して、銀行と証券ということなる業態間の相互乗り入れ、業務規制の緩和、そして国際化(グローバル化)に重点がおかれてきた。また、バブル経済の崩壊と、日本経済の長期低迷にともなって顕在化した金融機関の経営危機への対応もなされてきた。
1970年代以降、世界的なインフレーションと経済の国際化が進行するとともに、先進諸国の間に従来の金融制度に対する見直し気運が高まった。 アメリカでは金利の自由化と各種自由化金融商品が導入され、1985年に金融法が制定された。翌86年には、イギリスでも証券市場の大改革など金融制度改革が断行された。またフランスでは、88年に銀行の証券市場への参入がみとめられた。これらの抜本的な改革は、宇宙創世時の大爆発になぞらえてビッグバンとよばれる(→ ビッグバン理論)。 ドイツなどのヨーロッパ大陸諸国は、従来からユニバーサル・バンクといわれるように、銀行本体で銀行業と証券業をいとなんでいる国が多いため、日本や英米のような劇的な制度改革はおこなわれていないが、保険業の規制緩和やユーロ導入などで、環境は大きく変化している。 日本の金融制度は、第2次世界大戦後の1947年(昭和22)の証券取引法、52年の長期信用銀行法の制定により、銀行、証券、信託の分離がなされた。以後の改革は部分的なものにとどまっていたが、85年以降、アメリカなどからの要請にこたえて金利の自由化や外国金融機関の対日アクセス向上がはかられた。金利の自由化は、大口の定期性預金金利からはじまり、94年(平成6)に普通預金などの流動性預金金利が自由化されて完了した。 1990年代に入ると、従来の専門主義、分業主義の弊害についての議論が活発化し、92年6月に金融制度改革関連法が成立した。この法律は業態別子会社方式により、銀行、信託銀行、証券会社の相互参入を促進するためにつくられたが、過渡期には緩和措置がとられ、金融子会社として設立された金融機関は、その業務範囲が制限されていた。
金融分野のさまざまな規制をとりはらって、一挙に自由化しようとする日本版ビッグバンは、1996年11月に、当時の橋本龍太郎首相が金融制度の大改革構想をうちだしたことで、急速にすすむことになった。この構想は、「フリー(Free)」「フェア(Fair)」「グローバル(Global)」を金融制度改革の基本理念とし、バブル経済の崩壊後に地位が低下した東京(金融)市場を、ニューヨーク、ロンドンにならぶ国際金融センターとして再生することを目的としていた。同時に、ほとんどが貯蓄にまわされている日本の金融資産を、証券市場などにみちびくことで金融構造をかえることも意図されていた。 「フリー」とは、市場メカニズムを機能させるために、従来の業務分断規制を緩和し、各種の金融機関を相互参入させることによって競争を促進することである。 「フェア」とは、金融機関のディスクロージャー(情報公開)を促進したり、金融機関がまもらなければならないルールを明確にすることである。ここには、投資家や預金者を保護するため、自由市場に適した新たな規制体系を再構築することもふくまれていた。 「グローバル」とは、企業活動の国際化にともなって世界的規模で資金が移動するようになった状況をふまえ、規制や慣行を世界標準にあらためることである。たとえば、日本国内の会計基準を国際会計基準の流れと合致させるため、金融機関に対する時価会計を導入することなどである。 こうした構想のもとで、まず、「外国為替及び外国貿易管理法(外為法)」が抜本改正され、1998年4月から施行された(→ 国際取引法)。この改正により、日本と海外との間の資金移動が原則として自由化され、海外の金融機関との直接取り引きが可能になった。海外送金する場合に必要な事前届け出などの規制も大幅に緩和された。 また、日本では第2次世界大戦後の財閥解体により持株会社が禁止されていたが(独占禁止法第9条)、1998年に金融持株会社が解禁された。92年の金融制度改革関連法では、業態別子会社方式によって相互参入が実施されたが、銀行や証券会社などの金融機関は、金融持株会社を頂点として、その下にさまざまな金融サービスを提供する金融機関をもつことが可能となった。
金融制度の具体的な改革は、1998年6月に成立した金融システム改革法により、98年から99年にかけてすすめられた。まず、株式の売買委託手数料が自由化された。損害保険料率も自由化された。証券会社や投信会社の免許制はそれぞれ登録制と認可制にかわった。97年からすでに実施されていた証券総合口座の解禁につぎ、ラップ口座が導入された。また、証券会社の専業義務がなくなり、信託業務や投資顧問会社的な業務もいとなむことができるようになった。業態別子会社の業務範囲の撤廃もなされた。 証券取引所の改革では、1998年に取引所集中義務が撤廃されて取引所外での株式売買が解禁され、インターネットなどでの電子取引を広げる私設取引システムがみとめられた。その一方、インサイダー取引など不公正取引に対する罰則の強化、新しい金融システムで生まれる可能性のある不正取引規制が強化された。 銀行や保険会社などでの投資信託の窓口販売も可能となった。銀行の窓口販売は、その後、保険商品へも拡大され、2001年に住宅ローン関連の長期火災保険、02年に個人年金保険、05年に一時払い終身保険などが解禁された。損害保険では積み立て型の傷害保険や火災保険など自動車保険以外の個人向け保険が05年に解禁された。04年には、証券仲介業への参入もみとめられた。 このような民間金融機関の自由化とともに、郵便局などの公的金融機関についても、役割の見直しがすすんだ。さらに、大蔵省(現、財務省)や日本銀行などが実施する金融行政にも大きな改革がせまられ、大蔵省から金融監督庁(2000年7月から金融庁)が分離したり、日本銀行の独立性を高めるような日銀法の改正がおこなわれた。
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