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項目構成
プロローグ; 主要国の金融制度改革(ビッグバン); 日本版ビッグバン; 預金保険制度; 公的資金の投入; すすむ大手金融機関の合併、統合、提携; 金融再生プログラムと公的資金投入の新たな枠組み; 金融改革プログラム
1990年代初頭から、相互銀行や信用金庫、信用組合などでおきはじめた経営破綻(はたん)は、住専(住宅金融専門会社)や地方銀行へと広がり、97年には北海道拓殖銀行、山一証券など大手金融機関へもおよぶようになった。こうした中で金融制度改革をおしすすめるには、金融制度に対する国民の信頼をたもつ必要があった。 日本では、従来、銀行が破綻した際の取り付け騒ぎなどをふせぐために、1971年(昭和46)に「預金保険法」ができ、その運営機関として同年に預金保険機構が設立された。預金保険機構は、政府、日本銀行、民間金融機関(普通銀行、長期信用銀行、信託銀行、信用金庫、信用組合、労働金庫など)が共同出資して設立され、加盟金融機関から一定料率の保険料を徴収してつみたて、加盟金融機関の経営が破綻して預金の払い戻しができなくなった場合に、当該金融機関にかわって預金保険機構が預金者に対して預金残高(元本)を保険金として支払うという制度(ペイオフ)である。 ペイオフの上限額は、機構が設立されたときは元本100万円であったが、1974年に元本300万円、86年に元本1000万円となり、2001年(平成13)4月からは、「元本1000万円とその利息分」となった。また、1986年(昭和61)の預金保険法改正で、破綻金融機関にかかわる合併等に際して機構による資金援助をおこなうことができることになった。 さらに、1996年(平成8)の預金保険法の改正で、金融不安をおこさせないために、2001年3月までは預金を全額保護することがもりこまれ、ペイオフは封印された。それに必要な財源を確保するために、特別保険料を金融機関から徴収することになった。また、預金保険機構が破綻した金融機関から不良債権を買いとることが可能となった。 それにもとづき、住専の不良債権回収にあたる「住宅金融債権管理機構」への機構からの出資、また経営破綻した信用組合の受け皿となる「整理回収銀行」への指導や援助などがおこなわれた(両機構は1999年4月に合併して「整理回収機構(RCC:日本版RTC)」に)。 その後、2001年4月のペイオフ解禁(預金の全額保護の特例廃止)について、1999年末から解禁延期論が浮上し、2000年1月、政府が再延期をみとめないことを条件に02年3月まで延期されることになった。02年4月からは定期預金などについてのペイオフ解禁は実施されたものの、さらなる株価の低下は金融機関の経営を圧迫しつづけ、03年4月からの特定預金(当座預金、普通預金、別段預金)へと対象を拡大するペイオフ全面解禁は、05年4月まで再延期されることになった。またペイオフ全面解禁後も、当座預金、別段預金と、新たに導入された個人向けの無利子の普通預金の決済用預金は、全額保護されることになった。 なお、農業協同組合、漁業協同組合、水産加工協同組合には、これと同様な「農水産業協同組合貯金保険機構」がある。また、生保版としては、1998年12月に、それまでの保険契約者保護基金にかわって「生命保険契約者保護機構」が、損保版として、これも保護基金にかわって、「損害保険契約者保護機構」が設立されている。
金融不安の発生をふせぐために金融機関にもとめられたのは、バブル期の過剰融資でふくれあがった不良債権の処理を早急にすすめることであった。そのために、破綻していない金融機関に対しても、その優先株や劣後債などを公的資金で買いあげることによって自己資本を増強させる必要が生じ、1998年2月に「金融機能安定化法」(正式名称「金融機能の安定化のための緊急措置に関する法律」)が制定され、3月に預金保険機構をとおして都市銀行を中心に資本増強がおこなわれた。 ついで、破綻した金融機関の処理方法をさだめた「金融再生法」と、金融機能安定化法を廃止して、公的支援に関して適用条件の厳格化、経営者責任や株主責任の明確化などをふくむ新ルールをさだめた「金融早期健全化法」が、1998年10月に制定された。この枠組みで、2001年3月までに、破綻処理と、公的資金の投入による金融機関の資本増強が集中的におこなわれることになった。 金融再生法にもとづき、1998年10月に日本長期信用銀行、12月には日本債券信用銀行が特別公的管理に入った。その後、日本長期信用銀行は、アメリカのリップルウッド・ホールディングスが中心となって欧米の投資グループが設立したニュー・LTCB・パートナーズによって買収されることが決定し(新生銀行)、日本債権信用銀行は、ソフトバンクを中心としたグループに売却されることになった(あおぞら銀行:同銀行は2003年9月にアメリカの投資ファンド、サーベランスが買収)。一方の早期健全化での資本注入も、99年3月に大手銀行などの申請にもとづき実施にうつされ、同年9月以降は地方銀行へも広げられた。 上記の処理によって、金融機関の危機的状況はないと当時の金融庁は判断し、金融早期健全化法にもとづく申請は2001年3月でうちきられた(公的資金の注入は2002年3月まで)。
従来、日本の銀行は、預金をあつめて大企業を中心に融資をおこない、利鞘(りざや)をかせいできた。しかし、優良な大企業は、社債を発行するなど独自に資金をあつめる手段が多様化し、銀行の役割は小さくなっていった。またATM(現金自動預入支払機)や各種カードの発達で窓口業務は減少し、はりめぐらせた店舗網は逆に負担になっていった。新たな金融業務の開拓に資源を集中し、国際業務行として再生することが大手銀行の課題となった。 あいつぐ都市銀行どうしの合併や統合は、そうした背景のもとですすめられた。第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の3行が2000年9月に金融持株会社の「みずほフィナンシャルグループ」を設立して経営統合をはかり(2002年4月に3行を分割・再編してみずほ銀行とみずほコーポレート銀行が誕生)、さくら銀行と住友銀行は、旧財閥の枠をこえて01年4月に合併した(三井住友銀行:三井住友フィナンシャルグループ)。 東京三菱銀行も2001年4月に三菱信託銀行と金融持株会社のもとに経営統合し、「三菱東京フィナンシャル・グループ」が誕生した。さらに三和銀行、東海銀行、東洋信託銀行の3行も、01年4月に共同で金融持株会社を設立して経営統合し(UFJグループ)、02年1月にそのもとで三和、東海が合併した(UFJ銀行)。こうして、日本の都市銀行は、4つの金融グループに再編成された。さらに、02年3月には、大和銀行グループとあさひ銀行が経営統合、スーパー・リージョナル・バンクをめざすりそなグループが誕生した。 ついで2005年10月に三菱東京フィナンシャル・グループとUFJホールディングスが合併して、「三菱UFJフィナンシャル・グループ」が誕生、みずほフィナンシャルグループ、三井住友フィナンシャルグループとともに、日本の金融は3メガバンク時代へと入った。 一方、流通や製造業などの他分野から新しく銀行業務に参入する動きがみられ、決済専門の銀行やインターネット専門銀行(ネット銀行)が設立された。→ 新型銀行
2002年10月、金融庁は、「金融再生プログラム」を作成、主要行の不良債権問題解決を通じた経済再生の枠組みを発表した。04年度中に不良債権問題を終結させること、そのために新しい公的資金制度を創設すること、特別検査の再実施など資産査定の厳格化、健全化計画未達成先への業務改善命令などがもりこまれた。 とりわけ、オーバーバンキングといわれる地方金融機関の不良債権処理や再編が大きな課題となった。その対策として、2002年12月に、地域金融機関の合併を意図した金融再編促進法(「金融機関等の組織再編成の促進に関する特別措置法」)が制定された(2003年1月施行)。優良な地方銀行が他の銀行を救済合併する際などに自己資本比率がさがるのをふせぐために、優先株を預金保険機構がひきうけるかたちで公的資金を投入する仕組みであった。 一方、2003年3月期決算で、四大銀行グループにつぐ規模のりそなグループの自己資本比率が国内業務行の基準である4%をわりこむことが明らかとなると、政府と金融庁は、ただちに金融危機の際に適用される預金保険法102条にもとづき、初の特別支援行として、1兆9600億円の公的資金の注入を決定した。こうした事態の発生により、金融早期健全化法にくわえ、国内業務行や地方金融機関を対象に予防的に公的資金を注入するための新法制定が必要となった。 その予防的に公的資金を注入するための新法「金融機能強化法」(「金融機能の強化のための特別措置に関する法律」)は、2004年6月に成立した(同年8月施行)。 健全行も不健全行も公的資金を申請ができ、合併にあたっては、金融再編促進法が自己資本比率の低下をおぎなう範囲でしか公的資金がつかえないのに対し、金融機能強化法は、強化計画に応じて申請できる優遇措置がとられた。この法律の成立で、金融再編促進法の公的資金注入制度は廃止され、金融機能強化法に一本化された。申請期間は、2008年3月までとされ、おもに地方金融機関を対象としていることから、預金保険機構にもうけられた金融機能強化勘定は2兆円枠となった。その後、金融機能強化法は08年に改正され、申請条件が緩和されるとともに、申請期間が12年3月末日まで延長された。 こうして、2005年4月のペイオフ全面解禁により、預金者が金融機関を一段と選別する可能性をひかえ、地域金融機関の再編や経営基盤の強化をうながす措置がととのえられた。
金融再生プログラムは、2004年度中に不良債権問題を終結させる、具体的には02年秋の段階で8%台半ばであった大手銀行の不良債権比率を半減させるという目標をかかげていた。この目標は、不良債権比率が突出していたUFJグループが、大口融資先の産業再生機構活用などによって改善をみせ、04年までで山をこした。金融庁は04年12月に、金融再生プログラムにかわって05年度から2年間の金融行政の指針となる「金融改革プログラム」を発表、金融制度改革は新しい局面に入ることになった。 このプログラムの特徴は、金融システムの安定を重視した金融行政から、金融システムの活力を重視した行政への転換を宣言したところにあった。目標は、利便性、価格優位性、多様性、国際性、信頼性にすぐれた金融システムを構築することによって魅力ある市場を創設し、「貯蓄から投資」への流れを大きくして「金融サービス立国」を実現することにおかれた。 そのための行政的な支援としてかかげたおもな課題は次のとおり。 (1)いつでも、どこでもアクセスできる金融商品・サービスの提供・販売体制の充実。具体的には保険商品の多様化や比較広告の容認、銀行などによる参入形態の多様化をすすめる。また利用者保護のための「投資サービス法(仮称)」制定の準備もすすめる。利用者相談室の設置、偽造カードなどの金融犯罪の防止策にもとりくむ。 (2)IT活用による金融市場インフラの整備。電子決済や電子的金融取引などに関する法整備をおこなう一方、そのために必要となる企業開示制度のいっそうの充実や、検査で金融機関を評定する制度を導入することなどを検討する。 (3)国際的に開かれた金融システムの構築。欧米ですすんでいる金融の規制緩和にともない、銀行・証券・保険などの業態をこえた金融コングロマリット(複合企業)の形成にみあう法制度や検査・監査体制を構築する。 (4)地域の再生・活性化、中小企業金融の円滑化。金融再生プログラムで、中小・地域金融機関は市場金融モデルよりも貸出先企業との長期的な関係を前提とした、従来の銀行中心の預金・貸出しが有効とした「リレーションシップバンキング」の取り組みを総括し、それをひきつぐ新たなアクションプログラムを策定する。
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