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日本における中央銀行(→銀行の「中央銀行の役割」)。日銀と略称される。日本の金融システムの中心的存在で、物価および金融システムの安定を維持し、経済の健全な発展に資することを目的とする。認可法人で、出資の55%を政府が所有し、管轄は財務大臣。
日本銀行は1882年(明治15年)の日本銀行条例によって設立され、85年に日本銀行券(兌換銀行券:だかんぎんこうけん)の発行を開始した。第2次世界大戦中の1942年(昭和17年)には日本銀行法(日銀法)が制定され、統制色の強い制度改革が実施された。 戦後になると、1949年に日本銀行法が改正され、日本銀行の最高意思決定機関として、日本銀行総裁と、都市銀行、地方銀行、商工業、農業に関する有識者各1名と、旧大蔵省、旧経済企画庁それぞれの代表計7名からなる政策委員会が設置された。その後、準備預金制度の創設や内部的な組織変更などをへて現在にいたったが、97年(平成9年)6月に日本銀行法が全面改正され(1998年4月施行)、日本銀行の独立性が強化された。
日本銀行の機能は次の3つである。 第1の機能は、日本で唯一の「発券銀行」として紙幣(日本銀行券)を独占的に発行していることである。日本銀行は通貨価値の安定をその任務としている。 第2は、「銀行の銀行」としての機能である。日本銀行は民間金融機関と預金勘定を通じて取り引きをおこない、最終的な貸し手となる。具体的には、民間金融機関は国民経済活動を通じて必然的に発生する資金決済に関するサービスを提供しているが、日本銀行はこの資金決済サービスの結果生じる金融機関間のさまざまな金融取引を、最終的に預金口座間の資金振り替えにより決済している(日銀ネット:日本銀行金融ネットワークシステム)。また、日本銀行は金融システムの安定性を維持するため、金融機関の資金繰りの状況や経営状況を調査している。さらに、預金の取り付けなどが発生して金融機関などの一時的な流動性に問題が生じた場合には、最後の貸し手として緊急貸出(日銀特融)をおこなう。 第3は、「政府の銀行」としての機能であり、税や歳入金の受け入れと支払い、資金繰り、政府債(国債)の発行や償還、元利金の支払いなどをおこなう。 日本銀行はこれらの機能をとおして、通貨価値の安定をはかるための金融政策をおこなう。その手段としては、貸出政策(公定歩合操作)、市場操作(手形・債券オペレーション)、準備率操作の3つがある。また補完的政策手段として窓口指導があったが、1991年に廃止された。 貸出政策は、民間金融機関が日本銀行から借り入れる際の金利(公定歩合)を上下することにより、金融機関の調達コストを変化させ、市場に出まわるお金の量を調整する。1990年代半ばまでは、日本銀行の金融政策の中心的な手段であったが、金利の自由化が完成した94年からは、公定歩合と預金金利の連動性がなくなり、貸出政策の政策手段としての性格は弱まった。公定歩合の性格も、2001年に補完貸付制度(いわゆるロンバート型貸出制度)が導入されてからは、その基準金利としての意味しかもたなくなった。 市場操作は、市場において民間金融機関のもつ手形や債券を購入したり売却したりすることにより、金利やマネーサプライに影響をおよぼす。参加者が金融機関に限定されていない市場でのオペレーションを公開市場操作(オープン・マーケット・オペレーション)というが、日本の場合は、売買の相手が金融機関に限定されていることもあり、たんにオペレーション(略してオペ)ということが多い。1990年代半ばからは、この市場操作が日本銀行の金融政策の中心となっている。 準備率操作は、民間金融機関が日本銀行にあずける準備預金の全預金に対する割合(支払準備率)を変更することにより、金融機関の貸出態度に影響をおよぼすものである。
1942年(昭和17年)に制定された日本銀行法は、その後部分的な改正はあったが、戦時立法で国家統制色が強いという基本的な性格はかわらなかった。そのため、日本銀行の業務は旧大蔵省の強い監督下におかれ、日本銀行の独立性を発揮することはむずかしかった。 ところが、1980年代後半のバブル経済、その後の住専問題処理、金融機関の破綻(はたん)などを通じて、旧大蔵省による不透明な業界指導や金融機関への過度の介入が問題となり、財政、金融の全般にわたって権限が集中している旧大蔵省を改革する必要が指摘されるようになった。その一環として97年(平成9年)6月に国会で日本銀行法が全面的に改正された。 改正の主眼は、大きくは日本銀行の独立性強化と、政策運営の透明性を高めることにおかれた。独立性強化については、大蔵大臣(現、財務大臣)による総裁解任権や広範な命令権、日本銀行への立ち入り調査権の廃止、総裁人事は従来の内閣の任命にくわえ両議院の同意が必要などの改正がなされた。情報公開については、政策委員会議事要旨や議事録を公表すること、半年に1回国会に報告書を提出することなどがさだめられた。 こうして欧米の中央銀行にくらべ、いちじるしく法的な独立性が弱かった日本銀行は、欧米並みとはいえないまでも、かなりの独立性をもつことになった。それまでは旧大蔵省にかくれて国民にその姿があまりみえなかった日本銀行が、本来の機能と役割を、政府や政治からの圧力に屈しないではたすことができるかどうか注目された。 また日本銀行の内部規律の確立も大きな課題となった。1998年に入って、旧大蔵省幹部職員に対する民間金融機関の過剰接待が明るみになり、収賄容疑による逮捕者も出た。日本銀行においても同様な問題が明らかとなり、98年4月の改正日本銀行法施行前に、松下康雄総裁と福井俊彦副総裁の退任と98人にのぼる行内処分という事態にいたった。 後任には総裁に速水優(はやみまさる)前経済同友会代表幹事・元日商岩井会長、副総裁に藤原作弥前時事通信社解説委員長を起用する人事を、1998年3月に閣議決定した。
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