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Windows Live® の検索結果 17世紀初頭に美濃窯で生産された多様な器種・器形をもつ焼き物で、美濃出身の茶人古田織部の好みということから後世こうよばれるようになった。口縁部をゆがめて沓(くつ)形に変形した茶碗(ちゃわん)や、銅緑釉(どうりょくゆう)をかけわけた片身替わりといわれる趣向の鉢や向付(むこうづけ)などが代表的である。釉薬や胎土(たいど:素地となる土)をつかいわけることで多様な趣向をつくりだし、青織部、赤織部、鳴海(なるみ)織部、志野織部、黒織部などと区別される。 織部を生産した窯は、当時唐津(→ 唐津焼)から導入された複数の焼成室をもつ連房式登窯(れんぼうしきのぼりがま)で、国史跡に指定された土岐市の元屋敷窯(もとやしきがま)は美濃に最初に導入された登窯とつたえられている。生産は短期間で、寛永年間(1624~44)にはほとんど姿をけしたが、幕末に瀬戸窯(→ 瀬戸焼)で再興されたため、志野と同様に瀬戸窯で生産されたものと考えられてきた。しかし、1930年(昭和5)の荒川豊蔵による志野発見を契機に、織部も美濃窯で生産されたものであることが明らかとなった。→ 美濃焼 なお、神屋宗湛(かみやそうたん)は「宗湛日記」慶長4年(1599)2月28日条で、織部がもよおした茶会において「ヒツ(歪)ミ候也 ヘウケ(瓢軽)モノ也」という沓茶碗がつかわれたことを記述しており、古田織部と織部焼の関わりをつたえる数少ない史料となっている。
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