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ガラス工芸

ガラス工芸 ガラスこうげい
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

ガラスは陶芸(陶磁器)、金工をはじめとする諸工芸の重要な分野のひとつである。狭義には、実用的価値と美的価値とをそなえたガラスによる造形物をガラス工芸と定義することができるが、現代はその定義にとらわれない表現手段としてガラス素材をもちいる作家も数多くあらわれている。工業製品としてガラスが量産可能となった19世紀に、手工芸に対する見直しがおこなわれるようになった。器物だけでなく、装飾品、装身具の素材としてもガラスは応用されており、ステンド・グラスにも長い伝統とすぐれた作例をみいだすことができる。

II

オリエント

ガラスの起源には、メソポタミア説とエジプト説があり、見解がわかれる。いずれにしても、独立した素材として最初からガラスがあったわけではなく、陶器やタイル釉薬をあつかう過程で実用されるようになったと考えられる。メソポタミアでは、鉛釉の陶器がつくられていたが、前2200年ごろに青銅合金を産する冶金(やきん)技術の発展にともない、単体のガラスがつくられはじめた。前1800~前1700年ごろにつくられた円筒印章は最古のガラス製品とみられる。ほかにビーズ、飾り板などが製作されたが、容器がつくられるようになったのはメソポタミアで前16世紀末、エジプトでは前15世紀初期ごろとみられる。

メソポタミアの初期の容器はコア・テクニック(内型成形法)による陶器の形を模したもの、あるいは型モザイクによる小瓶や杯などである。当時のガラスはシリカ(ケイ酸)を原料にし、石灰ソーダを調合してつくられるソーダ石灰ガラスで、約1000度の高温を要した。コア・テクニックとは銅線に粘土などをまきつけて芯をつくり、これにとけたガラスをまいて形をととのえ、冷却して芯を掻(か)きだす方法で、手間のかかるものだった。

III

ヨーロッパ

前1世紀ごろ、古代ローマ領のシリアにおいて吹竿(ふきざお)でとけた種(だね)をふく「吹きガラス」の技法が発明され、高級品であったガラス器が安価に量産できるようになった。1世紀の中ごろには吹きガラスがローマ帝国(ローマ史)に広くゆきわたる。実用品だけでなく「ポートランド・バーズ」のような藍(あい)ガラスに乳白色ガラスを被(き)せ、冷却後にカットをほどこした高級品も生みだされた。ガラス鏡の製作や、厚い板ガラスを窓にはめこみ明かりをとることも古代ローマで可能となった。

ローマ帝国が東西にわかれたのにともない、ガラス製造の中心はビザンティン帝国(東ローマ帝国)のコンスタンティノープル(現イスタンブール)にうつった。このビザンティンの影響をうけて、ササン朝ペルシャのガラス技術が進展した。

中世ヨーロッパではステンド・グラスの技法が洗練されたが、ガラス器についてはみるべきものが少ない。ようやく11世紀ごろからベネツィアにおいて本格的なガラス製造がはじまり、13世紀に隆盛をみた。ベネツィアではシリアの影響をうけたエナメル絵付のガラス器が特徴のひとつであったが、15世紀中ごろ以降は、純良なソーダ石灰ガラスの素地に白線を配したレース・グラスなどを開発し、高い完成度と優美さをほこる作例を生みだした。ベネツィアのガラス技法は秘密にされていたが、16世紀にはヨーロッパ各地に広まり、巧妙な模倣品がつくられた。

15~16世紀ごろ、ドイツ、オーストリア、ボヘミアなどの森林地帯では木灰によるカリをつかう「ワルト・グラース(森林ガラス)」を改良し、伝統を継続させると同時にベネツィア・ガラスの器形や装飾法も導入した。イギリスでは1676年ごろ、ジョージ・レーベンズクロフトが「鉛ガラス」を発明、これにカットを加飾することで光輝をはなつ、強固なガラス器の製作が可能になった。18世紀には、アイルランドでもイギリス製に匹敵するカット・グラスが製作された。18~19世紀においてガラスは実用性の方向にすすみ、日常になくてはならないものとなっていく。

19世紀後期、フランスではエミール・ガレが動植物など自然のモティーフをとりいれた芸術性にとむガラス器を製作、アメリカではルイス・C・ティファニーが、ステンド・グラスや斬新なガラス器、ランプなどを創作した。1910年ごろから第2次世界大戦までフランスではルネ・ラリックによるアール・デコ様式のガラスが流行した。戦後、62年ごろから「作家が個人であつかえる材料」としてのガラス、という考えにしたがって国際スタジオ・グラス運動がアメリカでおこり、各国の工芸家たちに強い影響をあたえた。これをうけて工芸の枠や過去の原理をこえた、自由で表現性にとむガラス作品が創造されつづけている。

IV

中国

中国で発見された最古のガラス製品は、春秋時代末から戦国時代(前5~後3世紀)の間に製作された儀式にもちいる環状の璧(へき)、印章、珠(たま)、管(くだ)などであり、出土地は広範囲にわたる。これらは西アジア製のアルカリ石灰ガラスとことなり、鉛とバリウムをふくむ中国特有の成分である。西方のガラス技術の影響をうけつつ、中国で独自に製作されていたことがわかる。

漢代にはいるとガラス生産はさらに進展し、玉器を模倣した璧や珠、また皿、碗などの容器もつくられるようになった。これらは鋳型成形によっていた。漢代においてガラスは「璧流離(へきるり)」や「琉璃」とよばれ、中央アジア系のベルール(belur)を語源としていると推測されている。ローマ帝国の瓶や鉢などのガラス製品ももたらされていたが、中国製のガラス器も日本や東南アジアにはこばれていくまでになった。

魏晋南北朝時代には西方からの輸入品がふえ、ローマ、ササン朝ペルシャのガラス器が高級品として流入した。これらの一部が日本にわたったのである。中央アジアの技術者が、このころに中国に移住してきたらしく、同時に西方の宙吹き成形技法が伝播(でんぱ)した。

隋~唐代では高鉛ガラスとアルカリ石灰ガラスが素材として混在しており、中国独自の製法と西アジアの製法との2つの流れがあったことを推測させる。宋代の出土品にはイスラムふうのガラス容器がみいだせるが、小型でうすい高鉛ガラスが中国製の主流を占めていたようである。これらは強度が低く、玩具や埋納器物にもちいられるくらいだった。

元代には顔神鎮(現、山東省博市)が北部中国で最大のガラス生産地となり、製作は明~清代にも継続された。清代には広州が南のガラス製造の中心地となり、ヨーロッパの技術をとりいれた作例を生みだした。清朝官営のガラス工場では、いわゆる「乾隆(けんりゅう)ガラス」に代表されるすぐれたガラス工芸品の数々を製作した。

V

日本のガラス工芸

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