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Windows Live® の検索結果 生没年不詳。飛鳥時代の仏師。鞍作鳥とも書き、また止利仏師(とりぶっし)ともよばれる。祖父の鞍作村主司馬達等(くらつくりのすぐりしばたつと)は、522年(継体16)に中国または百済から日本に帰化した人といわれる。父鞍作多須奈(たすな)は、用明天皇(在位585~587)の病気平癒をいのって、坂田寺木造丈六仏像および脇侍菩薩(きょうじぼさつ)像をつくったという。 奈良の安居院(あんごいん)(→ 飛鳥寺)につたわる飛鳥大仏は、もとは蘇我馬子が建立した法興寺の丈六の金銅仏で、605年(推古13)につくりはじめられ、609年に完成した像である。「日本書紀」などによれば、鞍作止利の作といわれている。この像は1196年(建久7)に雷火により焼失し、現状の大部分がのちにおぎなわれたものであるが、わずかに目から額にかけてと右手指3本が当時のものをのこす。面長の顔や杏仁形(ぎょうにんけい:アンズの種の形)の目などに当初の面影をみることができる。 また、法隆寺金堂釈迦(しゃか)三尊像は、鞍作止利の作であることが確実な遺品である。大光背の裏面にきざまれた銘文により、聖徳太子の病気平癒をいのって発願され聖徳太子没後の623年に完成したこと、作者は司馬鞍作首(しばくらつくりのおびと)止利仏師であることがわかる。この像にみられる着衣形式、裳懸座(もかけざ)、杏仁形の目、両端をややあげた口唇(アルカイク・スマイル=古式の笑い)から、鞍作止利のひきいる止利派の仏師たちは、中国の北魏様式の流れをくむ金銅仏をつくっていたと考えられている。
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