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Windows Live® の検索結果 1697~1752 江戸中期の文人画家。名は真淵。通称土佐屋平八郎。号は蓬洲(ほうしゅう)、八僊(はっせん)など。彭(ほう)百川ともいう。名古屋の薬種商八僊堂に生まれたとも、同家に婿養子にはいったともいわれ、また中国人の血をひいているともいわれる。はじめ俳諧をこころざして支考に師事し、松角、のち昇角と号した。1726年(享保11)みずからの挿絵をいれた選集「本朝八僊集」を刊行している。 1729年ごろから京都を拠点に各地にあそび、狩野派をまなぶなどして絵画に傾倒した。画域は広く、俳画ややまと絵的な作品もあるが、当時舶載された中国画や画譜類をまなび、初期文人画家として先駆的な作品を多くのこしている。柳沢淇園や祇園南海がいわゆる文人的教養人であってあくまで余技として絵を描いていたのに対し、百川は絵を売って生計をたてる職業画家であり、元文年間(1736~41)には法橋に叙せられている。 代表作は1751年(宝暦元)に描かれた奈良県陶原(すはら)家の襖絵(ふすまえ)である。「天台獄中石橋図」「芭蕉太湖石図」「墨梅図」などいずれも墨の濃淡による強いコントラスト、大胆な筆致、大きくとらえられたモティーフのはげしい動勢(→ ムーブマン)をともなった構成を特徴としている。「春秋江山図屏風(びょうぶ)」(東京国立博物館)のような元や明の絵に直接ならった作品もふくめて、明清の画風を大画面に構図することのできた最初の画家だったといえる。書画の鑑定も得意とし、「元明画人考」「元明清書画人名録」の著書がある。
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