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Windows Live® の検索結果 1631~1705 江戸時代初期の画家。住吉派の祖、住吉如慶(じょけい)の嫡男として京都に生まれる。名ははじめ広純、のち広澄。1674年(延宝2)44歳のとき妙法院堯恕法親王のもとで剃髪(ていはつ)得度、法名を具慶とし、同年法橋の位についた。 1677年女院御所造営に際し障壁画を担当。翌年飛鳥井雅章の孫娘が越前松平家へ輿(こし)入れするにあたり「徒然草(つれづれぐさ)画帖」(東京国立博物館)を制作。79年父如慶が未完成におわった「東照宮縁起絵巻」を完成させて江戸に持参、その功により4代将軍家綱から褒美200両を拝領した。またこのとき逗留(とうりゅう)先の寛永寺で「元三(がんさん)大師縁起絵」「慈眼(じげん)大師縁起絵」(ともに寛永寺)を制作。翌年禁裏(宮廷)の命で「年中行事絵巻」の模写をおこなった。83年(天和3)江戸にめしだされ、幕府の御用絵師となって、住吉派興隆の基礎をきずいた。のちさらに身分がひきあげられ俸禄も加増されて、91年(元禄4)59歳の時、狩野益信らとともに法眼(ほうげん)となった。 住吉派の祖である父如慶は京都で活動したが、具慶が江戸に移住し、父の画風をつたえたことによって、それまで狩野派の独占状態だった江戸画壇に、狩野派の漢画的要素の強い様式とはちがう、伝統的なやまと絵画派を成立させたといえる。代表作にはほかに「都鄙(とひ)図巻」(興福院)、「宇治拾遺物語絵巻」(出光美術館)などがある。
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