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  • 能阿弥 - Wikipedia

    能阿弥 (のうあみ、 応永 4年( 1397年 ) - 文明 3年( 1471年 ))は、 室町時代 の 画家 、 茶人 、 連歌師 。姓は中尾、名は真能(さねよし)。法号は真能。号は鴎斎、春鴎斎子。子に 芸阿弥 、孫に 相阿弥 がいる。 元は 越前 朝倉氏 の家臣だったが、 足利 ...

  • 花鳥図屏風 能阿弥筆|秋季特別展 室町将軍家の至宝を探る ...

    能阿弥はこの「花鳥図屏風」を描き、「花恩院常住の為に老筆を染む、久しく坐右を離すこと莫れ」と書き入れた。能阿弥の立場が、大寺を営む経豪と同等か、あるいはそれ以上と見なされることは注意しておく必要がある。

  • 観阿弥 - Wikipedia

    観阿弥 (かんあみ/かんなみ 觀阿彌陀仏 正慶 2年/ 元弘 3年( 1333年 ) - 至徳 元年/ 元中 元年 5月19日 ( 1384年 6月8日 ))は日本の 南北朝時代 から 室町時代 にかけての 猿楽 師。息子の 世阿弥 とともに、いわゆる 能 を大成した人物である。

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能阿弥

能阿弥 のうあみ
百科事典項目

1397~1471 室町中期、足利義政につかえた同朋衆のひとり。将軍家伝来の書画の管理が本来の仕事であるが、絵画制作、書画の鑑定、表装、座敷飾りの指導、連歌、香道など幕府関係の芸能全般に幅広く活躍した。別名真能。号は秀峰。表具師としては1431年(永享3)聖衆来迎寺(しょうじゅらいこうじ)の六道絵の補修にあたり、連歌師としては宗祇によっていわゆる七賢のひとりとされ、北野連歌会所奉行となった。その句は「竹林抄」「新撰菟玖波集」に採録され、自筆の私歌集「集百句之連歌」(1469。天理図書館)がある。

画家としては、彼の作とつたえる水墨画は数多いが、確証のある作品は「白衣観音図」(1468)、「花鳥図屏風」(1469。出光美術館)、「蓮図」(1471。正木美術館)と数少なく、いずれも70歳代のときのものである。これらの画風から、将軍の側近として最良の牧谿画にしたしく接する機会のあった能阿弥が、この時期深く牧谿に傾倒していたことがうかがわれる。能阿弥筆とつたえる名高い「三保松原図」(頴川美術館)は少し後の阿弥派の作品と考えられている。また能阿弥は、座敷飾りの秘伝書「君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)」(群書類従本)、将軍家伝来の中国画優品目録「御物御画(ぎょもつおんえ)目録」の編纂者としても著名であるが、いずれも自筆本は現存しない。

子の芸阿弥、孫の相阿弥もひきつづき将軍家につかえ、三阿弥と称された。この3代を中心とした画系を阿弥派という。

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