検索
エンカルタ内で検索 : 藤原佐理

Windows Live® の検索結果

  • 藤原佐理 - Wikipedia

    書状(離洛帖)(国宝) 畠山記念館 蔵 - 正暦2年( 991年 )、佐理(当時48歳)が書いた書状で、内容は佐理が大宰大弐(だざいのだいに、 大宰府 の次官)に任命されて任地へ向かう旅の途上、摂政の 藤原道隆 に赴任のあいさつをしてくるのを忘れたことを思い出 ...

  • Amazon.co.jp: 藤原佐理研究: 中島 壌治: 本

    日本書道史上、能筆家日本三蹟の一人、藤原佐理は、正しく伝えられてはいなかった。藤原兼家、道隆、道長等勝利者の系譜を主流とする『大鏡』には、佐理は、根廻しの拙ない政略にうとい如泥人の評をうけ、歴史的に敗北者とされている。

  • Amazon.co.jp: 藤原佐理集 (日本名筆選): 本

    藤原佐理集 (日本名筆選) (大型本) ... 2009/11/7 土曜日 にお届けします! 「お急ぎ便」オプション(有料)を選択して注文を確定された関東エリアへの配達のご注文 ...

すべての検索結果 :
Windows Live® の検索結果

藤原佐理

藤原佐理 ふじわらのすけまさ
百科事典項目

944~998 平安時代の公卿(くぎょう)、書家。摂政太政大臣藤原実頼(さねより)の孫。名は「さり」とも読む。能書家として名高く、円融、花山、一条各天皇の大嘗会屏風に和歌を書いたことや、内裏(だいり)の殿舎の門額や東寺、伊予三島社などの社寺の額を書いたことが知られる。大宰府に赴任したとき、宇佐八幡宮の神人とあらそって、大弐(だいに)の職を免官されるなど、放縦な性格であったらしい。「大鏡」には「懈怠(けたい)人」(なまけ者)、「如泥(にょでい)人」(だらしない人)と評されている。

969年(安和2)祖父実頼主催の詩歌会で書いた「詩懐紙」(高松藩主松平家につたわり、現在は香川県歴史博物館が収蔵)が現存する。詩懐紙とは、詩歌会に参加した人が、自作の詩をみずから懐紙に清書したものをいうが、佐理はこのとき七言絶句(絶句)を詠じたことや、小野道風の書をまなんでいたことがわかる。そのほか、「離洛帖(りらくじょう)」「恩命帖」「国申文(くにのもうしぶみ)帖」「頭弁帖」「去夏帖」の5通の書状がのこる。佐理の書は「佐蹟(させき)」とよばれ、小野道風、藤原行成の書とともに江戸時代以降「三蹟」といわれた。

項目内で検索
項目全体を印刷
項目の URL をメールで送る




© 2009 Microsoft