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  • 藤原佐理 - Wikipedia

    藤原 佐理 (ふじわら の すけまさ/さり、 天慶 7年( 944年 ) - 長徳 4年 7月25日 ( 998年 8月24日 )は、 平安 中期の 能書家 、 公卿 。 太政大臣 藤原実頼 の孫、左近衛少将 藤原敦敏 の子。名前は「すけまさ」だが、「さり」と 有職読み することが多い。正三 ...

  • 藤原佐理筆詩壊紙:高松市

    テンプレート1 ... 書跡 指定区分 国宝 指定年月日 昭和27年11月22日

  • 雄渾・流麗の書画、絵画

    小野道風らとともに平安の三蹟と称される。その流麗で躍動感あふれる筆跡は佐蹟とも呼ばれ、草書の第一人者として評判が高かった。「離洛帖」は佐理の数少ない真筆とされる傑作の一つで、正暦2年(991)に京都を離れて太宰府に赴任する際、藤原 ...

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藤原佐理

藤原佐理 ふじわらのすけまさ
百科事典項目

944~998 平安時代の公卿(くぎょう)、書家。摂政太政大臣藤原実頼(さねより)の孫。名は「さり」とも読む。能書家として名高く、円融、花山、一条各天皇の大嘗会屏風に和歌を書いたことや、内裏(だいり)の殿舎の門額や東寺、伊予三島社などの社寺の額を書いたことが知られる。大宰府に赴任したとき、宇佐八幡宮の神人とあらそって、大弐(だいに)の職を免官されるなど、放縦な性格であったらしい。「大鏡」には「懈怠(けたい)人」(なまけ者)、「如泥(にょでい)人」(だらしない人)と評されている。

969年(安和2)祖父実頼主催の詩歌会で書いた「詩懐紙」(高松藩主松平家につたわり、現在は香川県歴史博物館が収蔵)が現存する。詩懐紙とは、詩歌会に参加した人が、自作の詩をみずから懐紙に清書したものをいうが、佐理はこのとき七言絶句(絶句)を詠じたことや、小野道風の書をまなんでいたことがわかる。そのほか、「離洛帖(りらくじょう)」「恩命帖」「国申文(くにのもうしぶみ)帖」「頭弁帖」「去夏帖」の5通の書状がのこる。佐理の書は「佐蹟(させき)」とよばれ、小野道風、藤原行成の書とともに江戸時代以降「三蹟」といわれた。

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