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柳沢淇園

柳沢淇園 やなぎさわきえん
百科事典項目

1704~58 江戸中期の文人画家、儒学者。淇園、玉桂などと号する。大和郡山藩の家老曽根保格の2男として江戸に生まれた。少年期から2代藩主柳沢吉里に愛され、元服に際し柳沢の姓をあたえられ、さらに24歳のとき1字を拝領して名を里恭(りきょう)とあらためた。それより前、1724年(享保9)21歳のとき、柳沢家は甲斐(山梨県)から大和郡山に転封を命じられたが、その屋敷の窓の前にみごとな竹があり、竹の異名を淇園長といったことから淇園と号したという。

多芸多才で、儒学、武芸、漢詩、仏典、書画、篆刻(てんこく)、俳諧、香道、医薬、音律など、人の師になれるもの16種におよんだ。絵は少年時代に狩野派にまなんだが、あきたりず、長崎派の画家渡辺秀石の門人、英元章(はなぶさげんしょう:吉田秀雪)に師事し、「果物籠図」(頴川美術館)のような綿密な写生に濃厚な彩色をほどこした作品を多くのこした。「芥子園画伝」など中国から渡来した画譜類にまなび、日本文人画の先駆者と称されるが、南宗画的な山水画作品はほとんど現存しない。池大雅の師ともいわれるが、むしろパトロンあるいは理論的指導者であって、実際の画技における子弟関係はなかったと考えるべきであろう。また墨竹図に指頭画(しとうが:絵筆の代わりに指をつかって描く絵)の技法をこころみている。

25歳のとき「不行跡未熟」として一時降格されたが、ゆるされて、晩年には大寄合をつとめた。随筆にもすぐれ、「ひとりね(独寝)」はとくに著名。

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