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Windows Live® の検索結果 1896~1919 洋画家、詩人。横浜市に生まれ、中学校教員であった父の赴任先である京都市で成長する。1909年(明治42)、京都府立第一中学校(現、洛北高校)に入学、在学中にいとこにあたる画家山本鼎から油絵具一式をおくられ、画家になることをすすめられる。また、このころボードレールやランボー、ポーの影響をうけ、友人たちと回覧雑誌をつくって詩、小説、戯曲などを発表した。 1914年(大正3)中学校を卒業し、画家をこころざして上京、山本鼎の斡旋(あっせん)で画家小杉未醒(後の放庵)宅に寄寓し、再興日本美術院の研究生となる。同年第1回二科展(→ 二科会)に水彩画が入選、15年には第2回再興日本美術院展覧会(院展)に「カンナと少女」を出品して院賞を受賞した。このころ、高村光太郎や柳瀬正夢などを知った。 貧苦の生活の中、旺盛な制作をつづける一方、奔放な生活はしだいにデカダンスの色合いが濃くなっていった。16年からは小杉宅をはなれ、失恋の傷などを負いながらも制作に没頭するが、放浪と奇行もくりかえされた。18年4月に突然喀血(かっけつ)し、結核と診断されて療養生活にはいる。翌年2月、雪まじりの雨のふる夜、発作的に戸外にとびだして草むらにたおれているところを友人に発見され、数日後、22歳という若さで死去した。 大正期のリベラルな思潮の中から生まれた早熟多感な芸術家村山槐多の作品は、いずれも強烈な個性とエネルギーにあふれている。絵の代表作に「湖水の女」(1917)など。没後、詩集「槐多の歌へる」(1920)などが刊行された。
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