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  • 山本芳翠の世界

    ■ここは明智町が保管する「山本芳翠」の作品を紹介するページです。 ■画像は明るさやコントラストを調整しておりますので、実際の色彩と異なることがあります。ご了承ください。

  • 山本芳翠の世界

    ■海 【材質】油彩・板 【サイズ】18.0×31.4㌢ 【署名】なし 【描かれた時期】1906年 ■なまず

  • 山本芳翠 - Wikipedia

    山本 芳翠 (やまもと ほうすい、 1850年 ( 嘉永 3年) - 1906年 ( 明治 39年))は明治時代の 洋画家 。 美濃 (現在の 岐阜県 恵那市 明智町 )の生まれで、始めは 南画 を学び、のち 五姓田芳柳 に入門し、 洋画 を学んだ。 1876年 、 工部美術学校 に入学し ...

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山本芳翠

山本芳翠 やまもとほうすい
百科事典項目

1850~1906 洋画家。岐阜県恵那郡明智町(現、恵那市明智町)に生まれる。はじめ京都に出て久保田雪江に南画(文人画)をまなび、1868年(明治元)横浜で五姓田芳柳(ごせだほうりゅう)に入門。その後イギリス人画家チャールズ・ワーグマン高橋由一などを知り、また門下生をおいて一家をかまえた。

1876年、工部美術学校創設とともに入学してイタリア人御雇教師(お雇い外国人)アントニオ・フォンタネージに師事するが、翌年に退学。78年、フランスに留学してパリのエコール・デ・ボザール(国立美術学校)に入学した。80年ごろの制作とされる「裸婦」からは、すでにアカデミックな油彩画の技法を修得していたことがうかがえる。留学中、パリ滞在中の西園寺公望を知り、さらにテオフィル・ゴーティエの娘で詩人のジュディット・ゴーティエとも親交。この交友から、84年には古今和歌集などから西園寺が歌をえらんで仏訳し、ゴーティエが詩文化し、芳翠が挿絵をそえた多色刷りの華麗な詩画集「Poems de la libellul(蜻蛉集)」を刊行した。

1887年に帰国、翌年フランスで木口木版画(版画)をまなんできた合田清と画塾生巧館(せいこうかん)を設立し、89年には明治美術会創立に参加した。94年、フランスから帰国した黒田清輝に画塾を門下生ともども託す。芳翠は、五姓田義松とともにヨーロッパで本格的に西洋画をまなんできた明治前期の洋画家の代表的な存在であったが、帰国後は、「浦島図」にみられるように日本的な主題と表現をもとめるようになっていった。

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