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  • 斎藤 義重

    斎藤 義重 1904年生まれ。1920年代初頭、ダダ構成主義に衝撃を受け、前衛的な美術運動に強い関心を持ち1938年に九室会に参加。1957年K氏賞受賞。以降サンパウロ・ビエンナーレ、ヴェネツィア・ビエンナーレ、グッゲンハイム国際美術展 ...

  • 斎藤義重による斎藤義重展-時空の木-

    斎藤義重による斎藤義重展-時空の木-

  • 千葉市美術館

    本展覧会は、斎藤義重(1904~2001)の生前より企画されていたものです。彼の死は、わが国の「戦後美術」と呼ばれていた時代が明らかに終わったことを感じさせるものでした。図らずも歿後はじめての回顧展となってしまった今回の展覧会は、彼の作品が ...

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斎藤義重

斎藤義重 さいとうよししげ
百科事典項目

1904~2001 造形作家。東京都に生まれる。10代のうちに東京でのブルリュークらロシア未来派の作家による展覧会(1920)をみたほか、劇作家、美術家の村山知義や彼の主宰するMAVOの展覧会に影響をうけて前衛を指向、構成主義的作品を制作する。はじめ二科会に出品し、1938年(昭和13)の九室会(きゅうしつかい)結成に参加。翌年の九室会第1回展に「作品」(のちにトロウッドと改称)を発表したが、この年同会をしりぞき、美術文化協会の創立にくわわる(53年退会)。太平洋戦争の敗戦の年に空襲をうけ、戦前の作品類のほとんどを焼失した。

戦中戦後、レリーフ状の合板作品を制作するが、1950年前後から絵画に移行して「鬼」(1957)などの作品をのこし、60年代前後からより抽象的、アンフォルメル的な作風にむかう。57年には第 4回日本国際美術展でK 氏賞、今日の新人'57 展で新人賞をうけるなど国内での評価を確立。さらに海外へと活動の場を広げ、59年にはサンパウロ・ビエンナーレ、60年にはベネツィア・ビエンナーレ、グッゲンハイム国際美術展に出品した。

1960年代後半からレリーフ状の合板作品を再開、70年代には板材による「反対称」シリーズにうつった。83年ごろからの「複合体」シリーズでインスタレーション作品の新天地を開く。78年に東京国立近代美術館、84年に東京都美術館ほか、94年に横浜美術館ほかで、大規模な個展が開催された。

制作者として、平面からインスタレーションへの展開の日本での先駆者であると同時に、1964年から73年まで多摩美術大学で教鞭をとるなど、教育者として次の世代をになう前衛作家を数多くそだてた。

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