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Windows Live® の検索結果 秋田藩主や藩士を担い手として、当時舶載された蘭学(→ 洋学)書にみられる西洋画法や新奇なモティーフをとりいれて洋風表現をこころみた人々の作品を総称して秋田蘭画とよんでいる。遠近法や陰影法などの西洋画法を導入するとともに、洋風の風景画や静物画などの新しいジャンルを開発した点など、明治にさきがけて西洋画法をいちはやくとりいれたことのみがやや過大評価されてきたが、しかし実際には当時の中国画などからの影響も色こく、和漢洋3者の折衷体から独自の画境をみいだした画派とよぶべきであろう。 1773年(安永2)銅山の開発のために秋田藩にまねかれた平賀源内に触発され、藩主の佐竹義敦(曙山)、一族の佐竹義躬(よしみ)、江戸にでて蘭学者たちと交流をもった秋田藩士の小田野直武らが輩出した。小田野直武の代表作に「不忍池(しのばずのいけ)図」や杉田玄白の「解体新書」の挿絵などがある。また佐竹曙山は日本最初の西洋画論書「画法綱領」「画図理解」を執筆した。
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