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平安時代以来、宮廷や社寺の絵画制作を担当した機関。宮廷の絵所は、808年(大同3)に画工司(えだくみのつかさ)が廃止されたあと、886年(仁和2)以前に令外官として、内裏の中に設立された。平安時代の儀式および故実の書である「西宮(さいきゅう)記」などによれば、長官である別当の下に、事務官の預(あずかり)と制作主任の墨画(すみがき)、彩色担当の淡(たみ)と作絵(つくりえ)、絵具の調製をおこなう丹調(につくり)、補助者として内豎(ないじゅ)と熟食(じゅっしょく)などの職制がおかれていた。 絵所では、宮廷や貴族のために、障子絵や屏風絵、絵巻、冊子絵、仏画の制作のほか、調度品のデザインや仏教建築の装飾、神輿(みこし)の彩色、模写や表具など、さまざまな絵画活動をおこなった。
平安時代の宮廷絵所の絵師として、1136年(保延2)に永久寺真言堂の障子絵を描いた藤原宗弘(むねひろ)や、後白河院(→ 後白河天皇)の命により制作された「年中行事絵巻」の作者のひとりである常盤(ときわ)光長などが知られる。1309年(延慶2)に春日大社に奉納された「春日権現験記(かすがごんげんげんき)絵巻」は、付属の目録により、絵所預の高階隆兼(たかしなたかかね)が描いたことが明らかになっている。南北朝時代の絵所預には、藤原隆昌、藤原行光、巨勢行忠(こせゆきただ)、六角寂済(じゃくさい)などが知られる。
鎌倉から南北朝時代を転換期として、絵所は宮廷の機関から民間工房をさす名称になり、さらに絵所預の職は、民間工房をひきいる絵師にあたえられる職になっていったようである。その後、1469年(文明元)に土佐光信が絵所預となって以来、絵所預の職は土佐派が世襲するようになった。土佐派は、宮廷や貴族のみならず、将軍家や武家の絵画制作をも担当していたことから、絵所預の職が宮廷専属の絵師の職ではなくなっていたことや、絵所預の名を利用して受容者層の拡大につとめていたことが指摘されている。 また、12世紀末期には、大寺院に所属する絵仏師の工房にも絵所の職制があたえられるようになった。代表的な絵所には東寺絵所や興福寺絵所があるが、興福寺絵所は、吐田座(はんだざ)と芝座、松南院(しょうなみ)座にわかれて、室町時代まで活動をつづけた。
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