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Windows Live® の検索結果 平安時代、12世紀後半につくられた絵巻。866年(貞観8)春におきた応天門の火災をめぐる、大納言伴善男(とものよしお)の陰謀と失脚を描く。現在3巻にわかれているが、もとは1巻の長大な絵巻だった。冒頭の詞書(ことばがき)は欠落しているが、「宇治拾遺物語」におさめられた「伴大納言焼応天門事」によって知ることができる。 物語によれば、清和天皇の代に応天門が炎上する。大納言伴善男は、これが左大臣源信(みなもとのまこと)の仕業であると讒言(ざんげん)したが、太政大臣藤原良房は源信の無実をうったえ、源信はゆるされる。応天門の火災は、じつは伴大納言とその子中庸(なかつね)らの放火であり、それを右兵衛府(うひょうえふ)の舎人(とねり)が目撃していた。舎人は口外しなかったが、伴大納言の出納(しゅつのう)の子供と放火を目撃した舎人の子供の喧嘩(けんか)から、伴大納言の悪事の噂(うわさ)が人々の間に広まり、舎人は詰問されて事件の真相をかたり、伴大納言は逮捕される。 「日本三代実録」には、伴大納言の従者生江恒山(いくえのつねやま)が、告発者大宅鷹取(おおやけのたかとり)の娘を殺すという生臭い事件がしるされているが、物語では子供の喧嘩にかえられ、さらに、絵巻は物語を脚色し、応天門の火災と伴大納言の逮捕を長大な場面に描いている。 絵は、やわらかく的確な線で人物の表情や動作を描き、色鮮やかな彩色をほどこす。群衆のさまざまな動きを巧みにとらえる洗練された技法と、「年中行事絵巻」模本との類似から、後白河院(後白河天皇)に重用された常磐光長(ときわみつなが)を中心とする宮廷絵師の作と考えられる。室町時代には若狭(わかさ)国新八幡宮につたわり、江戸時代に小浜(おばま)藩主酒井家の所有になり、現在は東京・出光美術館所蔵。紙本着色、縦31.5cm。 → 応天門の変
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