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民芸

民芸 みんげい
百科事典項目
マルチメディア
芹沢銈介「小模様散らし文着物」芹沢銈介「小模様散らし文着物」
項目構成
I

プロローグ

1920年代に柳宗悦ら民芸運動の推進者たちにより生みだされた造語。柳の説明によると、民芸は民衆的工芸の略語で一般の民衆が日常つかう実用品をさし、家具調度、衣服、食器、文房具などがふくまれる。民芸は基本的に機械をつかわない手作りの工芸品で、ひとりの芸術家による一品制作品ではなく、無名の工人の集団分業作業によって多量に生産され廉価で売られたものである。

民芸という用語には、西欧で歴史的につくりあげられた純粋美術と応用美術の境界をいちはやくとりはらおうとしたジョン・ラスキンウィリアム・モリスを祖とするイギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動の近代デザイン思想の影響がみられ、中世のクラフツマンのギルド組織の中でつくられた工芸を理想とする、ある種の倫理性が色濃くただよう。

また、民芸は郷土的な色合いが強く、柳ら都会で西欧近代の高等教育をうけたエリートたちによって「発見」された、日本各地に産する地方工芸である。ただし、地方工芸すべてをふくむわけではなく、柳宗悦の主観的「直観」によりえらばれたある種のものであり、それらは多分に西欧のモダニストの眼をとおしてみられた日本の美、つまり機能的で自然で簡素な美をしめすものであった。

具体的に当時の民芸とは青森県津軽の刺し子こぎん、岩手県の南部鉄瓶、栃木県益子の山水土瓶、愛知県瀬戸の馬の目皿、京都大津の大津絵、兵庫県の丹波織物、大分県小鹿田(おんた)の飛びかんな模様瓶、沖縄県の紅型や壺屋の抱瓶(だちびん)などによって代表される。

今日ではこれら当時の民芸品は東京駒場に柳宗悦が設立した日本民芸館や骨董品(こっとうひん)屋、または西欧の美術館でのみみられ、そのコピーは各地で観光土産物として売られている。民芸は日本近代工芸・デザイン史の歴史用語となり、一般用語としての庶民の工芸という意味は喪失した。「新作民芸」の創作により現代生活の中で柳の定義した民芸の伝統を継承発展させていこうという活動はつづいているが、無名の工人集団作業の産物である民芸に美の原理をおくものを個人の作家が創作していくことに矛盾と曖昧(あいまい)さをのこしたまま形骸化(けいがいか)している。それでも民芸は、日本、海外において広く工芸・デザイン分野の作家活動の創作源になりつづけており、また日本においては工芸・デザイン史における近代化研究の重要なテーマとしてみなおされていることに現代的意義がある。

II

民芸運動

柳宗悦を中心に浜田庄司河井寛次郎バーナード・リーチ富本憲吉などがくわわり、広範な民芸運動が展開された。その活動は、民芸を「発見」・収集し、美術館や百貨店で展示・即売し、また協会を設立したり、民芸の美を理論化して著述や講演実演によりその普及につとめるなど多岐にわたる。1931年には雑誌「工芸」(1949年終刊)が創刊され、36年には活動の拠点となる日本民芸館も開館した。第2次世界大戦後には、民芸の美を糧(かて)に作家活動をくり広げつづける柳と上記4人のほかに、棟方志功芹沢銈介黒田辰秋なども運動にくわわった。また欧米でも、柳、浜田、リーチによる講演実演や、柳著・リーチ翻案の「ジ・アンノウン・クラフツマン」やリーチ著の「ア・ポターズ・ブック」などの出版によって、民芸運動は「東洋の神秘的、伝統的」な仏教美学として広まっていった。

哲学者、柳宗悦が理論化した民芸理論は日本の近代工芸・デザイン史における最初の重要な理論である。「柳宗悦全集」22巻(筑摩書房)の中の、1927~28年出版の「工芸の道」に理論の骨子が集約されているが、柳はこの中で、用の美、健康の美、無心・無名の美など、欧文翻訳的、禅仏教的な匂いをただよわせた独特な表現によって民芸の原理「美の標準」を定義している。

民芸理論はまた、当時の東西融合思想による日本の近代化推進運動を反映しつつ、柳の東西神秘哲学思想、リーチと富本が先導したイギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動思想、後期印象派の原始美術論、ブルーノ・タウトやシャルロット・ペリアンなど日本を訪問したモダニスト・デザイナーのオリエンタリズム、鈴木大拙西田幾多郎などの禅仏教の新解釈などが柳独自の調合移植によってみごとに創(つく)られたハイブリッド理論である。

民芸運動は、民芸を「固有な独自の日本」の象徴と説く民芸論をかかげ、日本近代文化ナショナリズムを先導していった。1930年代後半から第2次世界大戦中にかけての民芸運動は政治色が一段と濃くなり、近衛内閣の「新体制運動」や「公民化運動」に協力的とも思われる活動をくり広げた。それまで日本の辺境とされてきた東北地方、北海道アイヌ、沖縄などの文化、そして朝鮮、台湾、満州など植民地文化の工芸調査活動や発言には、植民地主義的な問題が多々あり、今後さらに検証されるべき課題をのこしている。

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