Windows Live® の検索結果
Windows Live® の検索結果 項目構成
平安時代後期にはじまる仏師の一派。定朝の弟子だった長勢の系譜をつぐ円勢以下、名前に円の字がつく一派を円派仏師という。円派は、白河上皇(→ 白河天皇)や鳥羽上皇(→ 鳥羽天皇)の支持をえて膨大な造像をうけおい、12世紀前半の造仏界を主導した。円派が院政時代の造像にたずさわることが可能になったのは、それ以前の世を支配した藤原摂関家(→ 摂関政治)と関係のうすい傍系だったためと考えられる。円派は定朝様(よう)をうけつぎ、穏やかで円満な像を制作した。
円派仏師の遺例として、京都の仁和寺旧北院薬師如来(にょらい)像、安楽寿院阿弥陀(あみだ)如来像、大覚寺五大明王(みょうおう)像、それに奈良の西大寺四王堂十一面観音像がある。近年発見された仁和寺旧北院の薬師如来像は、1103年(康和5)に円勢と長円がつくった北院薬師堂白檀(びゃくだん)薬師像に該当するのではないかと考えられており、円派仏師の穏やかな作風をしめす。 安楽寿院の阿弥陀如来像は、1139年(保延5)に鳥羽上皇の墓所として建立された三重塔の本尊である。安楽寿院の造像は、円勢の子長円や長円の弟子円信などの長円工房の仏師が担当していることから、この像の作者も長円と考えられている。現在、西大寺四王堂にある十一面観音像は、もとは鳥羽上皇の発願により45年(久安元)に建立された白河二条十一面堂の本尊で、円信が制作した像である。
円勢のもうひとりの子賢円の孫明円は、1180年(治承4)の南都焼討ち後の復興造像において、円派の棟梁(とうりょう)として、奈良仏師の成朝(せいちょう)をおさえて興福寺金堂の本尊釈迦(しゃか)如来像を担当したことが知られている。大覚寺の五大明王像は、76年(安元2)につくりはじめられた明円の現存する唯一の遺品である。また、1249年(建長元)に焼失し、66年(文永3)に完成した京都の蓮華(れんげ)王院の再興造像には、湛慶を中心に各派の仏師が参加したが、円派仏師としては隆円らの制作した千手観音(せんじゅかんのん)像がふくまれている。
© 1993-2008 Microsoft Corporation. All Rights Reserved. |
© 2008 Microsoft
![]() ![]() |