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Windows Live® の検索結果 京都市東山区東山七条にある真言宗智山派の総本山。五百仏頂山と号する。院号は紀州の新義真言宗総本山、根来(ねごろ)寺大伝法院内にあった学問所の智積院に由来する。1585年(天正13)、豊臣秀吉により根来寺は焼き打ちにあった(→ 根来衆)が、学頭の玄宥(げんゆう)は根来寺の再興をねがい、1601年(慶長6)徳川家康の援助により現在地に智積院が再興された。1615年(元和元)の豊臣氏滅亡後、秀吉が亡き子鶴松(つるまつ)のために建立した祥雲寺の堂舎をあたえられるなど江戸幕府の保護をうけた。こうして江戸時代には新義真言宗の学問の中心としてさかえた。歴代の能化(住持)はすぐれた学匠で、全国から学徒があつまり、真言宗のほか唯識、倶舎(くしゃ)、因明(いんみょう)などの講義もさかんにおこなわれ「学山」とも称された。 明治維新後、教学の中心だった勧学院や金堂をあいついで焼失、寺地も減少するなどいったん寺勢がおとろえたが、その後、勧学院を復興し、第2次世界大戦後は新義真言宗から真言宗智山派として独立している。 文化財には長谷川等伯一門のえがいた桃山美術(→ 桃山文化)を代表する金碧(きんぺき)障壁画がある。秀吉がたてた祥雲寺伝来のもので、25面が一括して国宝に指定されている。このうち「楓図」「松に黄蜀葵(きあおい)図」が長谷川等伯筆、「桜図」が息子の久蔵筆と考えられている。大書院東側の庭園は江戸前期のものといわれ、国の名勝に指定されている。
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