Windows Live® の検索結果
Windows Live® の検索結果 項目構成
「古事記」「日本書紀」などにみえる伝説上の人物。気長足姫(おきながたらしひめ:「古事記」では息長帯比売と表記)ともいう。父は気長宿禰王(おきながのすくねおう)、母は葛城高額媛(かずらきのたかぬかひめ)。仲哀天皇の正妻で、応神天皇の母という。
記紀によれば、神功皇后は夫にしたがい、熊襲征伐のために筑紫にやってきた。そのとき、アマテラスオオミカミ(天照大神)と住吉三神から神託があり、朝鮮半島に遠征するようにもとめられた。しかし、仲哀天皇はこの神託を信用しなかったために急死した。当時、神功皇后は臨月の身だったが、そのまま朝鮮半島の新羅を攻め、神の助けもあって難なく制圧した。その後、筑紫の宇美(うみ)にもどって誉田別(ほんだわけ)皇子(のちの応神天皇)を生み、皇子をつれて大和に帰還しようとした。しかし、仲哀天皇の遺児である香坂(かごさか)王と忍熊(おしくま)王の抵抗をうけ、これとたたかうが、制圧に成功。幼少の皇子にかわり、摂政として政務を代行した。
こうした話は事実の記録ではないが、この伝記的な記事がどのような意味をもつのか、解釈はわかれる。たとえば、大和政権はそもそも応神天皇を始祖とし、神功皇后伝説は、応神天皇の母からはじまる王朝開闢(かいびゃく)神話としてのまとまりをもつとみる説。また、神功皇后が近江(おうみ)の息長(おきなが)氏と関係が深いので、継体天皇が即位した後で力をもった息長氏が、その祖先伝承を混入させたものともいわれる。
© 1993-2008 Microsoft Corporation. All Rights Reserved. |
© 2008 Microsoft
![]() ![]() |