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Windows Live® の検索結果 生没年不詳。7世紀前半の僧侶。高句麗からの渡来人。「日本書紀」によると、高句麗の嬰陽(えいよう)王が610年(推古18)に僧の法定(ほうじょう)とともに曇徴を日本に進献したという。曇徴は五経(→ 四書五経)に通じ、また彩色や紙墨をつくり、あわせて碾磑(てんがい)という水力を利用する臼をはじめてつくる、とある。 これによれば、曇徴は岩絵具(いわえのぐ)や紙、墨の製法をつたえて、絵画や書のための基礎的な材料を日本国内で生産できるようにおしえ、さらに水車をつかった臼の製造技術ももたらし、これによって穀物の脱穀や製粉作業や鉄鉱石の粉砕工程がつたえられたことになる。 ただし、日本は中国、朝鮮半島としばしば通交しており、7世紀まで紙を知らなかったとも思えない。曇徴がつたえたのは、とくに良質な紙の製造法であろうか。また碾磑は、古代を通じて日本の製鉄では砂鉄を原料としたため、この技術は生かされていない。脱穀や製粉工程でも水車や水臼はあまり普及しなかった。
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