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東京都港区元赤坂にあるかつての皇室の離宮。現在は内閣府の付属機関で、国賓や公賓の宿泊や接遇のための施設となっている。一般に、迎賓館赤坂離宮とか、たんに迎賓館とよばれている。
旧赤坂離宮の敷地およびそれに隣接する皇室所有地は、大部分がもと紀州徳川家江戸中屋敷の跡地で、総面積は66万6000m²にもおよぶ。中屋敷は西苑(さいえん)とよばれていたが、1872年(明治5)に旧藩主徳川茂承(もちつぐ)が屋敷をふくむ西苑の一部を皇室に献上。皇室移管後に赤坂離宮と命名された。73年に皇居が焼失したため、新宮殿にうつるまで旧屋敷が仮皇居としてつかわれたこともある。 1898年、赤坂離宮内の北西部、11万7062m²の敷地に新しく東宮御所(皇太子、のちの大正天皇の御殿)の造営が決定。のちに、この東宮御所が狭義の赤坂離宮とよばれるようになった。1948年(昭和23)、この建物と敷地が国に移管され、国会図書館、裁判官弾劾裁判所などの庁舎となった。さらに67年にはこれを改修して国の迎賓施設とすることが閣議決定され、大がかりな改修工事をへて74年に迎賓館として開館した。 なお広義の赤坂離宮のうち、迎賓館の敷地をのぞく約55万m²は現在も皇室が使用し、赤坂御用地とよばれている。ここに赤坂御苑や現在の東宮御所などがある。かつて西苑の庭園は、尾張徳川家の戸山荘、水戸徳川家の後楽園の各庭園とならび徳川御三家の江戸における三大名園のひとつであった。現在、皇室の園遊会がおこなわれる赤坂御苑にその名残をとどめている。
赤坂離宮は東宮御所として、宮内省内匠(たくみ)寮技師の片山東熊(とうくま)の総指揮のもとに1899年着工、10年の歳月をかけて完成した。本館の延べ面積は1万5360m²、正面の長さ125m、奥行き89m。地下1階、地上2階の鉄骨構造で内部は煉瓦(れんが)造り、外壁はすべて国産の花崗岩でおおわれている。建物は耐震対策に力がそそがれ、壁があついため改修にあたっては、工事が難航したほどだった。 建築様式はネオ・バロック様式だが、バロック建築の代表であるフランスのベルサイユ宮殿やルーブル宮殿などがモデルとなった。左右翼廊を大きく前方に湾曲させる正面外観は、フランス学士院やウィーンの新王宮に似ている。 建設に際しては、欧米の技術にまなんだ当時の日本建築界の総力があつめられ、また黒田清輝(室内装飾)、浅井忠(油絵)、今泉雄作(図案模様)など当代一流の画家、工芸家なども参加した。赤坂離宮は明治期を代表する記念碑的建造物だが、世界的にもネオ・バロック様式の宮殿建築は例が少なく、貴重な存在である。 迎賓館への改修時には、村野藤吾が設計を担当。別に谷口吉郎の設計により、游心亭(ゆうしんてい)と名づけられた日本風の別館が新設された。 なお、このほかの国の迎賓施設としては、2005年(平成17)、京都御苑の中に開館した京都迎賓館がある。
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