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2002年2月、アメリカとイギリスははじめての共同未臨界実験をネバダ州の地下実験場で実施した。これによりイギリスは、アメリカ、ロシアにつづいて、3番目の未臨界実験データの取得国となった。 また、アメリカのブッシュ政権は、包括的核実験禁止条約(CTBT)からの離脱や爆発をともなう地下核実験の再開を検討するなど、核兵器回帰の姿勢をみせはじめた。1994年(平成6年)以降日本は、国連総会の軍縮・安全保障問題を協議する第1委員会に、毎年核廃絶決議案を提出し、すべて採択されてきたが、2001年の決議案に対してアメリカは、それまでの賛成または棄権をかえて、反対にまわった。
2006年10月9日には、以前から核開発をすすめていた北朝鮮が地下核実験をおこなった。これで北朝鮮の核武装の懸念は現実のものとなり、国際連合(国連)では、北朝鮮と友好的なロシアや中国も賛成して、「大量破壊兵器の拡散は国際平和と安全にとって脅威である」とし、北朝鮮に核兵器および核計画の放棄を強く要求する制裁決議案を採択した。国連のこうした迅速な動きは、核開発疑惑の渦中にあるイランが、北朝鮮につづいて核実験をおこなうようなことになれば、中東に核保有が広がる核のドミノ現象の危険性が高いこと、そして、核兵器がそれらの国からテロリストにわたる危険性も一段と高まるからであった。 その後も国連の場で日本が中心となって「北朝鮮の核実験非難」をもりこんだ核廃絶決議案を採択した。特定の国名をあげて非難したのは、はじめてのことだった。経済制裁などが北朝鮮に対しておこなわれる一方、北朝鮮に核兵器および開発計画の全面放棄をもとめる動きはその後、6カ国協議の場へとうつった。アメリカが率先して、核施設の完全無能力化や計画の放棄にむけての話し合いがおこなわれ、経済・エネルギーおよび人道支援を見返りに北朝鮮は核施設の一部を破壊・放棄するなど、一時は核計画の完全放棄にすすむかにみえた。しかし、2009年4月に北朝鮮は6カ国協議からの離脱を表明したうえ、5月25日、ふたたび地下核実験を強行した。
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