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Windows Live® の検索結果 奈良県桜井市山田にあった寺院。1982年(昭和57)に回廊が倒壊したままの状態で発掘され、大きなニュースとなった。 蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらのやまだのいしかわのまろ)によって創建され、「上宮聖徳法王帝説」の裏書によれば、641年(舒明13)に整地され、643年(皇極2)に金堂を建設した。649年(大化5)、石川麻呂は謀反(むほん)の疑いをかけられ、金堂前で一族とともに自害したが、その後、無実がわかり、孫娘(のちの持統天皇)らが建立を継続した。676年(天武5)に塔が完成し、685年には本尊の丈六仏が開眼(かいげん)した。 1187年(文治3)に興福寺の衆徒らにおそわれ、堂塔などを焼失した。このとき、講堂の本尊であった丈六仏が強奪されたようで、今日興福寺につたわる仏頭がそれにあたるとされる。その後、山田寺は荒廃し、廃寺となった。 1976年(昭和51)から奈良国立文化財研究所(現、奈良文化財研究所)が発掘調査を継続しておこない、一連の建物群を検出している。伽藍の配置は南から、南門、中門、塔、金堂、講堂が一直線上にならび、いわゆる飛鳥寺式(→ 飛鳥寺)の東西両金堂を略した形で、中門から出た回廊が塔と金堂をかこむ。 1982年度の調査では、10~11世紀に埋没したと思われる7世紀中ごろの東面回廊が、倒壊したままの姿で発掘された。現存最古といわれる法隆寺西院伽藍よりさらに数十年古い建造物で、柱や連子(れんじ)窓など出土した部材は、当時の木工、金属、建築技術の研究に重要な発見となった。山田寺から出土する瓦類は、山田寺式軒丸(のきまる)瓦類と分類され、地方の寺院にも影響をあたえている。 1921年(大正10)に国の史跡に指定され、52年(昭和27)に特別史跡に指定された。97年(平成9)には東面回廊の出土部材をつかった復元作業が終了し、山田寺に近い奈良文化財研究所飛鳥資料館に展示されている。
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