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イラク北部、ティグリス川上流部東岸にあったアッシリア帝国の首都。古代名はカルフ。前879年、アッシュールナシルパル2世(在位、前883~前859)により首都として建設され、エサルハドン王(在位、前680~前669)の時代まで約150年間王都であった。
19世紀半ばにイギリスのレヤードが宮殿跡を発掘し、人面有翼獅子像や、宮殿の壁面をかざるみごとなレリーフなどがヨーロッパ世界に紹介され、大きな注目をあつめ、その後、中断期間をへて、発掘調査が1944~63年におこなわれた。 ニムルドの都市をとりかこむ城壁は全長8kmにおよび、40cm四方の煉瓦(れんが)約7000万個がつかわれている。水を供給するために運河もつくられた。都市は東西に長い不整形な長方形で、南西隅に王城域があり、そこにジッグラト、ニヌルタ神殿、イシュタルの神殿、アッシュールナシルパル2世の宮殿(北西宮殿)などがたてられた。 北西宮殿の入り口には石製の獅子や雄牛がならび、宮殿の壁面には、王が軍事遠征する場面や、狩りの場面などがえがかれている。シャルマネセル3世(在位、前858~前824)、エサルハドン王も宮殿をのこしている。 出土した大量の遺物の中には、エジプト、パレスティナ、フェニキア、トルコなどでつくられた良質の象牙(ぞうげ)細工がふくまれており、中東全域を支配したアッシリアの勢力の大きさがわかる。
ニムルドはアッシリアの首都になるまでは地方行政の一拠点にすぎなかったが、ウバイド期(→ ウバイド文化)のアシでつくった小屋がみつかっており、先史時代から人間の居住した遺跡であることがわかっている。 前705年ごろに首都がニネベにうつった後も主要都市としてさかえたが、アッシリアをほろぼした新バビロニア(→ バビロニア)とメディア王国の連合軍によって、前614~前612年に破壊された。前2世紀ごろには人の居住がなくなり、完全な廃虚になった。
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