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項目構成
インド中部、マッディヤプラデシュ州ボパールの北東にある仏教遺跡。標高約90mの丘の上に3つの覆鉢(ふくばち)型のストゥーパ(塔)をはじめ、寺院、僧院など、前3世紀から後12世紀にかけてつくられた約50の遺構が散在する。 ブッダはこの地をおとずれなかったが、仏教に帰依した前3世紀中ごろのアショーカ王の命によりストゥーパや僧院が創建され、その子マヒンダ王子がここからスリランカへ布教の旅に出発したので、仏教史上重要な聖地となっている。古代商業都市ビディシャーに近く、その住人たちの庇護をうけて一大仏教センターを形成していた。
遺跡群の中央にある第1ストゥーパは、アショーカ王時代に煉瓦(れんが)積みの原塔が創建され、シュンガ朝時代の前2世紀末ごろに石でおおわれて増広されたもの。基壇の直径は36.6m、高さは16.5mで、頂点にブッダを象徴する傘蓋(さんがい)がたてられ、欄楯(らんじゅん:手すり)でかこまれている。覆鉢の下部で地上3mほどの所に右繞(うにょう:右まわり)礼拝のための回廊がもうけられ、回廊の周縁とさらに外側の基壇の周縁に欄楯をめぐらせ、2重の歩廊を形成している。 東西南北にある入り口の外側には、サータバーハナ朝時代の1世紀初めに、ほぼ全面に浮彫や丸彫がほどこされた高さ約10mの塔門がたてられた。2本の角柱の上部に間隔をとって3本の梁(はり)を横にわたしたもので、元来は欄楯とともに木材に彫刻をほどこしていたものが、より恒久性のある石材にかえられたと考えられている。 塔門彫刻はインド古代美術の白眉(はくび)といっても過言ではない。ブッダの生涯をしめす仏伝図やその前世物語である本生(ほんじょう)図が中心で、同一面に時間的な推移をみせる絵巻物形式のものも多い。この当時、ブッダはまだ人間の姿ではあらわされず、法輪、ストゥーパ、柱、菩提樹(ぼだいじゅ)、仏足跡などで象徴的に表現されている。装飾モティーフとしては、蓮華(れんげ)、象、獅子、馬、孔雀(くじゃく)などがあり、葡萄唐草文(ぶどうからくさもん:→ 唐草文様)、有翼獣、一角獣など西アジア・ヘレニズム美術の影響をうかがわせるものもある。 樹神ヤクシャ、樹女神ヤクシー、太鼓腹の財宝神クベーラなど民間信仰の神々も随所に配されている。とくに、マンゴーの樹に手をからませ、豊満な乳房もあらわに腰をひねったポーズのヤクシー像には、インドの豊饒(ほうじょう)な自然観や横溢(おういつ)する官能美が生き生きと表現されている。また、南塔門のそばには、アショーカ王が僧団の分裂をいましめた法勅をきざんだ石柱の基部がのこっている。
第1ストゥーパの北約60mにある第3ストゥーパは、基壇の直径約15m、基壇外縁の欄楯は断片をのこすのみで、南側に塔門1基がたてられている。ここからブッダの十大弟子のうちのシャーリプトラ(舎利弗)とマハーマウドガリヤーヤナ(摩訶目犍連:まかもくけんれん)の名がきざまれた凍石製の舎利容器が出土した。 第1ストゥーパの南東隣にある平屋根方形の第17寺院は保存状態もよく、グプタ朝時代の5世紀の石造寺院の数少ない遺例となっている。その隣の第18寺院は7世紀のもので、前方後円形の礼拝堂のプランをもつが、9本の柱をのこすのみで後円部はうしなわれている。
第1ストゥーパから西へ少しくだると第51僧院跡がある。7つある僧院跡の中でもっともととのったプランをもつもので、約33m四方の区画の中に、中庭をかこんで僧室や歩廊がある。さらに西にすすむと、前2世紀から前1世紀ごろにつくられた第2ストゥーパがあり、ここからはアショーカ王時代の長老比丘10人の名をきざんだ舎利容器が出土した。第3ストゥーパとほぼ同じサイズだが、塔門はなく欄楯をめぐらせている。欄楯の柱の浮彫は民間信仰の神々や動植物の吉祥文が多い。 遺跡群のある丘の麓(ふもと)に、アショーカ王柱の柱頭をかざる四面背中合わせの獅子像などの出土品をおさめた考古博物館がある。サーンチーの仏教遺跡は1989年にユネスコの世界文化遺産に登録された。
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