Windows Live® の検索結果
Windows Live® の検索結果 項目構成
プロローグ; 権力を象徴する舞台; 街路上の土木的装置; 「聖なるもの」への転換; 直線上昇型の聖なる階段; ミナレットの螺旋型階段; 古代建造物の内部階段; 裏方に甘んじた中世の階段; 新しい階段空間の誕生; 階段デザインの宝庫、イタリア; ホールと一体化した劇的空間; 屈折・旋回階段の多様な展開; 新材料と新工法による斬新な形態; ル・コルビュジエの住宅建築への試み; 危機に瀕する階段と斜路
階段は、人類が生活する空間の中で、上下にことなる2つ以上の平面が存在する場合、各平面をむすびつけ、連続させるための建築的、土木的装置である。したがって、建物内部の平面の差異がさほど生じない平屋建ての建築が大部分を占めていた時代や、風土や宗教的な理由などから、建物の多層化に熱心でなかった地域においては、階段の存在理由もさほど強いものとはなりえず、発達もしなかった。 低層の木造建築が主流を占めた伝統的な日本建築の場合も、建物内部における階段を特別に重要視する傾向はみられず、もっとも原理的なデザインの段階にある、いわゆるはしごもしくははしご段が長くつかわれた。これに対して、長い年月を通じて建物の高層化、多層化に熱心であった西洋建築の場合には、ひじょうに多彩で華麗な階段デザインの展開を、その歴史にみることができる。
歴史的にみると階段は、たんに上下にことなる平面をむすびつけるという機能的な役柄にのみしばられていたわけではない。上の平面と下の平面との間に、価値や意味上の変化がおこり、上の平面により高い重要性が認識されるようになった場合には、そこへといたる階段は特種な象徴性をおび、いわば階段以上の何かに変容する。また、階段を使用する特定の人間たちが、特別の権力や経済力をもつ場合には、階段がそうした力の誇示のための「舞台」ともなり、階段をかこむ壮大な空間の内部を自由に昇降することでえられる特別の快楽を彼らに提供した。近代になると、かつて聖職者や権力者など、ごく一部の者にかぎられていた空間内の昇降がもたらす快感や表現力を、鋼鉄造や鉄筋コンクリート造といった新しい構造の階段が、市民層などより多くの階層にも提供するようになって、さらに階段の社会的な意味が変化した。
階段は、最初は屋外の土木的な装置として登場したと考えられる。村落や都市が高低差のある丘陵地や沿岸傾斜地などにつくられたとき、上の家屋群と下のそれとをむすぶ道が同時につくられる。これらの道路が、人が上り降りするにはあまりにも危険な勾配(こうばい)をもつときに、その道を、ほぼ一定の高さ(蹴上:けあげ)と奥行き(踏面:ふみづら)で連続する「段」に分割し、階段が誕生した。この種の初歩的な土木的工作によってできた街路上の階段は、ヨーロッパ各地の山岳都市や地中海沿岸の漁村、北アフリカの諸都市や日本の傾斜のある海岸沿いや山地の村や町でみることができる。
日常的につかわれていた屋外の土木的階段の一部は、おもに宗教的な契機によって、参詣(さんけい)用階段となり、特別の宗教的建築と一体化すると同時に、非日常的なものへと転換する。天に近い所に位置する「聖なるもの」と下方の「俗なる世界」をむすぼうとする者たちが、階段に特別の役割をあたえて聖別した結果、階段は聖なる空間域への不可欠な前段階として、神殿、社殿、寺院(→ 寺院建築)、聖堂などの一部として組みこまれ建築化していく。 日本の神殿建築のひとつの原型は、縄文や弥生時代の高床倉庫(→ 蔵)とされているが、この倉庫にもうけられた単純素朴な階段が、やがて宗教施設の一部として昇華されていく過程があったと思われる。建築史家福山敏男が、もっとも初原的な神殿形式をもつ出雲大社のもっとも古い姿を「出雲大社金輪造営図」をもとに復元した際、棟高が15丈(50m弱)といわれる神殿へのアプローチとして、「引橋一町」、つまり長さ1町(110m強)にもおよぶ長大な木製階段(引橋)を想定して作図した。こうした規模の階段が実際にあったか否かについては今も議論がわかれるが、神殿への懸け橋として、階段の「聖なるもの」への劇的変身をものがたる注目すべき一例である。
|
© 2009 Microsoft
![]() ![]() |