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観阿弥(かんあみ)

観阿弥 かんあみ
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

1333~84 南北朝期の能役者。実名は清次(きよつぐ)、芸名観世。法名が観阿弥陀仏で「観阿弥」はその略称。「かんなみ」ともいう。世阿弥の父。大和猿楽(猿楽)の結崎座(ゆうきざ)に所属して、同座の能役者を統率したが、座内の演能グループが独立するかたちで観世座を樹立した()。つまりシテ方観世流の始祖ということになる。

II

足利将軍の絶大な愛顧

京都に進出して醍醐寺での演能で評判をとったのち、1374年(文中3・応安7)またはその翌年、京都の今熊野で、子の世阿弥とともに演じた能が将軍足利義満にみとめられ、以来絶大な後援をうけることとなった。84年(元中元・至徳元)、駿河(するが)へくだって浅間神社(浅間信仰)で法楽の能を演じ名演をみせたが、その直後、同地で没した。

III

演技、音曲を大胆に革新

観阿弥は、物まね、つまり写実的な演技が得意であったらしい。たとえば、女物狂いや少年の役に扮したときの演技がみごとであったと、世阿弥が「風姿花伝」の中でしるしている。また、地方公演もしばしばおこなったようだが、それぞれの土地のセンスを考慮にいれて演じたという。当時、田楽にも能があったが、観阿弥は京都の田楽師の一忠を師とあおぎ、鬼神のあらあらしくはげしい演技を得意としたその芸風にまなぶところが大きかったらしい。

また、メロディを主体とする従来の謡(うた)い方に曲舞(くせまい)のリズムのおもしろさを加味して、音楽的な改良にも意をそそいだ。「自然居士(じねんこじ)」「卒都婆小町(そとばこまち:「小町」とも)」「四位少将(通小町:かよいこまち)」などの能の作者でもある。

の「観阿弥と世阿弥」

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