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  • 日本人はるかな旅展

    ... 調べた長谷部言人によって原人のものと見なされ、「ニッポナントロプス・アカシエンシス:明石原人」と名付けられました。1982年には、遠藤万里と馬場悠男によって、猿人から現代人に至る骨盤の進化傾向が詳細に調べられ、その傾向に照らすと、明石人骨 ...

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  • 明石人 - Wikipedia

    明石人 (あかしじん)は、日本の 考古学 史、 人類学 史の中で注目された古人骨。昭和6年( 1931年 )4月18日、当時アマチュアの考古学者(のち 早稲田大学 教授)だった 直良信夫 が、 兵庫県 明石市 の西八木海岸で、 ヒト の腰骨を発見した事により存在が ...

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明石人骨

明石人骨 あかしじんこつ
百科事典項目

1931年(昭和6)に直良信夫(なおらのぶお)が兵庫県明石市西八木海岸の断崖(だんがい)の下で採取したヒトの左側腰骨で、当初原人級の原始的人骨といわれた。明石原人ともいう。原人は猿人と旧人の中間段階の化石人類で180万~20万年前ごろに生息したとされる。

現物は1945年に戦災で焼失したが、東京大学に石膏型がのこっており、48年に長谷部言人が原人のものと判断、明石原人(ニッポナントロポス・アカシエンシス)と仮称して公表した。長谷部らはさらに同年、発掘調査を実施したが、人工遺物はみつからなかった。

人骨の発見された西八木層は、その後の調査で旧人段階の地層と考えられるようになり、付近からはナウマンゾウ化石とともに石器らしき遺物も出土していた。1982年、遠藤万里(ばんり)、馬場悠男(ひさお)らがあらためてこの人骨石膏について人骨形態学的な調査をおこなって、その結果を公表した。それによると、形態的には原人ではなく新人段階の人骨であるとされる。

こうした状況をふまえて、1985年に春成秀爾(ひでじ)らが地質学、考古学、古生物学、植物学からの総合的な発掘調査をおこなった。この結果、人工加工痕跡(こんせき)らしき木片を発見したが、はっきりと年代を確定するにはいたらなかった。原人説に有力な証拠もなく、ほぼ否定されたかたちだが、明石人骨の発見は、日本列島における古人骨研究にとって学史的意味が大きい。

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