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Windows Live® の検索結果 中国内陸部長江上流域の四川省広漢市(コワンハン市)にある古代の遺跡。大量の青銅器や玉器、黄金製品がみつかり、黄河文明に匹敵する長江文明の存在を決定づける世紀の発見として話題となった。 1986年、四川省の省都の成都(チョントゥー)から40kmほど北の広漢市南興鎮(ナンシン鎮)三星堆村(サンシンドイ村)で、煉瓦(れんが)を焼くための土をほっている作業中、アーモンド形の目をした人頭像や目のとびだした異様な仮面、3.8mにもなる巨大神樹などをふくむ多数の青銅器、玉器などを埋蔵した2つの長方形の土坑が発見された。 この地域から玉石類が出土することは1929年ごろから知られていたが、本格的な調査がはじまったのは49年の中華人民共和国成立後、とくに80年代である。調査の結果、その文化は前期と後期からなることがわかった。前期文化の年代は黄河流域における竜山文化期に相当し、後期文化の下限は殷代末期~周(西周)初期、あるいはそれ以降とみなされている。 前期文化に属する遺跡は三星堆以外にも四川盆地に広範に分布しており、とくに最近、成都平原でいくつか発見されている城壁でかこまれた集落遺跡が注目され、すでに長江上流域に都市の始まりがあったことがうかがえる。三星堆遺跡でも城壁跡がみつかっており、南北約2km、東西約1.6~2.1kmの城壁は、土を下からつきかためる版築(はんちく)によってきずかれていた。この城壁は後期文化に属し、前期文化層からは確認されていない。 種々の青銅器や黄金製品がみつかった2つの土坑は城壁内南部にあり、それぞれ殷代中期と後期に属すると考えられる。このころが三星堆青銅器文化の最盛期である。その一部には殷や長江中流域の青銅器文化と共通する要素もみられるが、大多数はのちに蜀文化とよばれる土着文化の特色をしめす。黄河文明の中心地からはるか辺境の地に、このように華麗な青銅器文化が存在したことは、中国古代文明の成立過程を地方文化の視点からもとらえるべきことを示唆している。
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