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  • 青銅器 - Wikipedia

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青銅器

青銅器 せいどうき
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

青銅をもちいてつくった製品を広く青銅器とよぶ。青銅はスズを主成分とする合金である。

銅は人類がもっともはやくからつかった金属のひとつである。銅そのものは柔軟であるため鍛造には適しているが、融点が高いため容易に溶解せず、鋳造はむずかしかった。この欠点は、スズをくわえて融点をさげれば克服できることから、銅とスズの合金である青銅が出現したと考えられる。青銅は加工が容易なうえ、一定の強度もあるため、装飾をほどこした容器から鋭利な武器まで広くもちいられ、鉄が普及するまでは人類にもっともつかわれた金属であった。そのため考古学では青銅器時代が設定されている。

現在のもっとも古い青銅器を出土するのは西アジアで、年代は前4000~前3500年前後とされる。ヨーロッパでは前1800年前後から、中国では二里頭遺跡などで前2000年前後から盛んに青銅器がつくられた。このほか青銅器はユーラシア大陸の各地へも広まっていった。

II

西アジアの青銅器

古代西アジアにおける青銅の鋳造には、ヒ素銅などの冶金技術が大きくかかわっている。西アジアでは前4千年紀(前4000~前3001)にヒ素あるいはと銅の合金がすでに鋳造されていた。イスラエルのナハル・ミシュマル遺跡の宝物庫で出土したヒ素銅の製品は、失蝋法(しつろうほう)という高度な技法で鋳造されている。同様の鋳造技術はメソポタミア地方のテペ・ガウラ(イラク北部)やウル(イラク南部)、イラン地方のスーサなどの遺跡でもみとめられる。

銅にスズをくわえると融点が低くなるため、青銅は銅よりも多様な形に鋳造しやすくなる。また、ヒ素銅にくらべて硬度がますので、より鋭利な刃先の青銅器をつくることができる。一般的に、青銅のスズと銅の成分比率はほぼ1対9だが、古代西アジアにおける青銅の合金技術は不安定だったために、スズの割合は5~15%のばらつきをしめす。おもな製品には、斧(おの)、剣、槍、鏃(ぞく、やじり)、棍棒頭(こんぼうとう)といった武器をはじめ、工具、装身具、容器などがある。

最古の例として、メソポタミアのキシュ遺跡(イラク中部)で前3千年紀前半のY墓地からスズの割合が極端に低い青銅器がみつかっている。青銅をあらわす単語(zabar)も、同じく初期王朝時代I期のウルの地層から出土した粘土板文書にみえる。独特な表面の色合いが珍重されて、青銅器は社会的地位をしめす貴重品としてもあつかわれた。しかし、青銅器が本格的に普及するのは前2千年紀以降である。

古代西アジアのスズの原産地は未確認だが、メソポタミアより東方のイラン東部やアフガニスタンが候補地となっている。交易ルートとしては、イランをとおった陸上輸送か、バーレーンを経由したペルシャ湾岸沿いの海上輸送が推定されている。都市文明が支配していた交易ネットワークのもとで、東方のスズがインゴット(鋳塊)の状態でラピスラズリなどの貴重品とともにメソポタミアに輸入されたという説が有力である。

たしかに、青銅器は石器にくらべて形態が自由になったが、有効な武器としてはあまり活用されなかった。むしろ、ウマなどにひかせた戦闘用の馬車(戦車:チャリオット)の発明が前3千年紀の戦術を大きくかえ、やがて前1千年紀に鉄器が本格的な武器として普及していった。前1千年紀からのアッシリアにおける帝国の出現の背景には、こうした軍事技術の向上があった。なお、アッシリアのセンナへリブ王(在位、前704~前681)の碑文には青銅貨幣の鋳造についての記述があり、銅のリング・インゴットなどとあわせて古代西アジアの経済活動のようすがわかる。

イラン南西部の山岳地帯に位置するルリスタン地方では、エラムやバビロニアの影響をうけて前1千年紀に青銅器が鋳造された。武器、装身具、容器のほかに、動物意匠文のついた車馬具や祭祀(さいし)用具が特徴的である。さらに東方のインダス地方では、インダス文明のおこった前3千年紀の前半に青銅器が初現した。隣接するバルーチスターン地方のメヘルガルフ遺跡では、インダス文明の形成期に、ラピスラズリなどとともに青銅器がみつかっており、インダスにおいてもメソポタミアとほぼ同時期に青銅器生産がはじまったと考えられている。

III

中国の青銅器

中国で青銅器が金属器の中心をなしていたのは、二里頭遺跡を標準遺跡とする二里頭文化期(前20世紀頃~前16世紀頃)から、春秋戦国時代(前770~前221)までで、王朝としては王朝(~前11世紀頃)、王朝(前11世紀頃~前256)の時代である。二里頭文化より古い竜山文化期(前25世紀頃~前20世紀頃)にも青銅器の出土例はあるが、わずかなもので、その実態はほとんどわかっていない。

1

中国青銅器の特徴と歴史

二里頭文化の青銅器は鼎(てい)、爵(しゃく)、(か)、鈴など器種もかぎられ、文様もほとんどなく、作りも粗雑である。しかし、青銅という金属を鋳造して器物をつくるという新しい技術が誕生したという意味では、この文化の青銅器は大きな意義をもつ。

つづく二里崗文化(にりこうぶんか)期(前16世紀頃~前14世紀頃)と殷墟文化期(前14世紀頃~前11世紀頃)は殷王朝の時代(~前11世紀頃)とほぼ重なっている。二里崗文化期には青銅器の器種がほぼそろい、文様にも饕餮文(とうてつもん)がみられるなど、以降の時代の基礎がつくられた。

殷墟文化期になると青銅器は技巧をこらした形状をとり、文様も複雑になる。器種もこった作りになり、とりわけ動物形をとる酒器などはこの時期の特徴である。文様は饕餮文を中心とした具象的な文様を主文様に、空白部分は雷文(らいもん)などでうめつくされる。この時期には短い金文も鋳込まれるようになる。殷墟文化の青銅器はその造形や文様の複雑さから他の時代にはない独特の雰囲気をもち、高く評価されている。

殷王朝につぐ周王朝の西周時代(前11世紀頃~前771)のうち、前期の青銅器は基本的には殷墟文化の青銅器を継承するが、長文の金文が鋳込まれるようになるのが特徴である。この時期には、それまで黄河流域を中心とした青銅器の分布が大きく拡大した。とくに長江流域では、黄河流域の青銅器をもととしながら、独自の要素を発展させた青銅器がつくられた。このような地域的な特徴をもつ青銅器の代表例としては四川省の三星堆遺跡の出土品をあげることができる。

西周時代中~後期には、主文様から饕餮文などの具象的な文様が姿をけし、鱗文(りんもん)や環帯文のような幾何学文様がもちいられるようになる。さらに後期には空白部分をうめていた雷文もなくなり、幾何学文の主文様のみとなる。

春秋戦国時代(前770~前221)のうち、春秋時代前期は西周時代後期の青銅器とかわらない。春秋時代中期~戦国時代になると主文様がなくなり、蟠文(ばんちもん)のような細かい文様をくりかえしてかざった。狩猟や飲食などの場面が文様として器全体に鋳込まれる場合もある。さらにこの時期には、象嵌(ぞうがん)などのように新しい装飾技術もつかわれるようになり、工芸技術的には大きく発展した。

春秋戦国時代の分裂は始皇帝による統一で終わりをつげ、中国は統一王朝(前221~前207)から王朝(前202~後220)の安定期をむかえる。この時期になると青銅器の容器は日常的な道具とされ、他方、武器や工具は鉄器でつくられるようになったため、青銅器は社会の中心となる金属ではなくなった。

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