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フォンタネージ,A.

フォンタネージ Antonio Fontanesi
百科事典項目

1818~82 イタリアの画家。北イタリアのレッジョ・ネレミリアに生まれ、同地の市立美術公民学校にまなぶ。1848年、オーストリア支配に対する独立戦争に志願し、マジョーレ湖の戦いではガリバルディの軍隊に配属された。敗戦後はスイスに避難してジュネーブに定住、風景画家として制作をつづけた。55年パリ万国博覧会でコローミレー、ルソー、ドービニーなどのバルビゾン派の作品にふれ、その瞑想(めいそう)的な表現に影響をうける。また、フィレンツェでイタリアの印象派ともいえるマッキア派にも接し、外光による明るい色彩表現の影響をうけた。69年、トリノの王立美術学校の風景画の教師となる。

1876年(明治9)、日本政府にまねかれて工部美術学校画学科教師に就任。ヨーロッパのアカデミックな教育の実践をこころみたが、ほどなく脚気をわずらい、また翌年の西南戦争のため政府の財政事情が悪化し、フォンタネージがめざす理想的な美術学校建設が実現できなくなったことから、78年同校を辞任して帰国。2年間という短い滞日ではあったが、浅井忠小山正太郎、松岡寿(ひさし)、山本芳翠五姓田義松など明治期の日本洋画界をささえた画家たちをそだてた功績は大きい。帰国後は健康がすぐれず、数年後トリノで没した。

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