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Windows Live® の検索結果 1926~89 昭和期の考古学者。日本列島における縄文時代以前の旧石器文化(→ 石器時代)の存在を立証した(→ 岩宿遺跡)。 東京に生まれ、1937年(昭和12)に群馬県桐生市に転居する。17歳で横須賀武山海兵団に入団し、戦後、桐生市に復員した。納豆などの行商をしながら縄文土器や石器の採集と研究をつづけ、46年に同県新田郡笠懸村(かさかけむら:現、みどり市)にある切り通しの崖(がけ)の関東ローム層内から剥片石器(はくへんせっき)を発見した。この地に注目し、採集をつづけて49年には黒曜石製の槍先形尖頭器(やりさきがたせんとうき)をみつけた。 当時の学界では1万年以上前の更新世(関東ローム層堆積時代)には文化の存在がみとめられていなかったが、これらの石器類や出土層のことを芹沢長介に話し、同年9月には芹沢をはじめ明治大学の杉原荘介らを中心とする発掘調査がおこなわれた。その結果、縄文時代以前に日本列島には人がすみ土器をもたない石器文化が存在することが学術的に確認され、翌年にも第2次調査がおこなわれた。岩宿遺跡はその後、広く認知され、また日本の旧石器時代研究の基礎となった。 相沢は、その後も赤城山周辺を中心に旧石器文化遺跡の発掘調査を精力的におこないながら、研究と著述、講演などにはげみ、私設の赤城人類文化研究所(前身は東毛考古学研究所)なども創設した。 これらの業績で1961年には群馬県功労賞、67年には第1回吉川英治文化賞を受賞。著書「岩宿の発見」(1969)はベストセラーになり、教科書にも掲載された。ほかに「赤土への執念」(1980)や「赤城山麓(あかぎさんろく)の旧石器」(1988。共著)などの著書がある。群馬県桐生市には相沢忠洋記念館が開設されている。
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