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旧ソビエト連邦や現在のロシア連邦における代表的な大型の有人宇宙船で、1967年4月のソユーズ1号からはじまり、途中改良をくわえたTシリーズ(1979年12月~)、TMシリーズ(1986年5月~)がうちあげられている。ソユーズ(Soyuz)というのは「結合」または「同盟」という意味。 ソユーズ宇宙船は、前部から宇宙飛行士が作業や休息をとるための軌道船、宇宙飛行士がのりこむ降下船、計器類を搭載した計器モジュールで構成されている。また軌道船の先端部には宇宙ステーションやほかの宇宙船とドッキングするための開口部があり、計器モジュールの両側には全長8mの太陽電池パネルがもうけられている。ソユーズ宇宙船は、すべて直径10.3m、全長49.3m、重量約310tのA-2ロケットによりうちあげられたが、これはウォストーク宇宙船の打ち上げにつかわれたA-1ロケットの改良型である。軌道船と機械船を切りはなしたのち、大気圏に再突入した降下船は減速ロケットでスピードをおとし、宇宙飛行士をのせたままパラシュートで着地する。
1967年4月23日にうちあげられたソユーズ1号(コマロフ,V.)は地球を18周したが着地に失敗し、宇宙飛行中で初の犠牲者となった。68年10月にうちあげられた3号は無人の2号とのランデブー飛行に成功、69年1月には4号と5号がドッキングし、飛行士の移乗をおこなった。69年10月、6号では無重量、真空という条件の下で金属溶接実験に成功した。また6号は7号、8号と3つの宇宙船による編隊飛行にも成功した。 1971年4月にはソユーズ10号が宇宙ステーションのサリュート1号とのドッキングに成功したが移乗には失敗した。6月に11号がサリュート1号とのドッキングに成功し、宇宙飛行士3人が移乗し、宇宙菜園や医学実験などをおこない、約570時間という宇宙滞在記録をつくった。しかし、帰還時に宇宙船の気密が保持できなかったため全員が死亡するという事故となった。そのため約9年間、ソ連では3人乗りの宇宙船はうちあげられず、2人乗りのみでの飛行となった。また、冷戦下の75年7月に、「アポロ-ソユーズ(ドッキング)計画」にもとづきアメリカのアポロ宇宙船とのドッキングに成功し、飛行士の移乗をおこなっている。
1979年12月のソユーズT(無人)からはじまったソユーズTシリーズ(2~3人乗り)では、ソユーズ宇宙船をつかい宇宙ステーションとの往復のための交通手段としての役割を確立した。84年2月打ち上げのソユーズT10では宇宙ステーションのサリュート7号に移乗し、宇宙滞在238日間という記録をつくっている。 1986年5月のソユーズTM1(無人)からはじまったTMシリーズ(2~3人乗り)では、90年12月に日本人初の宇宙飛行士、秋山豊寛(とよひろ)も、宇宙ステーションのミールとの往復に利用した(TM11でミール到着、TM10で帰還)。また、95年6月にはアメリカのサガード宇宙飛行士がソユーズTM21でミールにむかい、そののちスペースシャトルのアトランティスとミールがドッキングした。そして、その状態で4日間と21時間飛行するという、初のアメリカ-ロシア合同の宇宙飛行がおこなわれている。 →宇宙探査の「有人宇宙計画」
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